コラム「透視図」

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国鉄分割民営化30周年

2017年4月1日

 社会の中で不当な立場に置かれた人間の苦悩を小説で表現し続けた島崎藤村だが、若いころは主にロマン主義の詩人として作品を発表していた
 ▼「初恋」を覚えている人も多いのではないか。リンゴの木の下で逢瀬(おうせ)を重ねた思い出を描いた甘酸っぱく感傷的な詩である。最後のこんな一節が印象深い。「林檎畑の樹の下に/おのづからなる細道は/誰が踏みそめしかたみぞと/問ひたまふこそこひしけれ」。お互いの募る思いがリンゴの木に足を向かわせ、自然とできた踏み跡はいつか道に変わっていく。人の強い願いがどれだけ大きな力を持つかを示すような詩でもある
 ▼方向は違えど考えてみると、鉄道という交通網もそんな人の願いが集まってできたものではないか。本道ではまず開拓者たちが血と汗を流しながら生活や産業をつくり上げ、それを維持発展させるため各地をつなぐ鉄路を求めた。もちろん敷設は計画に沿ったものだが、本道隅々に広がるのはおのずから決まっていたと言っていい。きょうは国鉄分割民営化からちょうど30年。鉄路に思いをはせるにはぴったりの日である。JR北海道も30歳だ。20代最後の年は新幹線開業のうれしい話題もあったが、年末の発表にはがっかりさせられた。何せ路線の半分がJR北単独での維持が困難だというのである
 ▼本道ではこの30年、高速道路は伸び空路も充実した。バス転換も進んでいる。鉄路の衰退もまた「おのずから」なのかもしれぬ。今は時代に合った将来の交通体系をしっかり見極める局面だろう。当分、生みの苦しみが続く。

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高浜と伊方原発再稼働へ

2017年3月31日

 他に類を見ない数々の童話で名を知られる宮沢賢治は、盛岡高等農林学校(現岩手大農学部)で学んだ優秀な技術者でもあった。詩集『春と修羅』の「序」のこんな一節からもその片りんがうかがえる
 ▼「これから二千年もたったころは―/気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり/あるいは白亜紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/発見するかもしれません」。空に化石とか古い地層に透明人間の痕跡とか、ばかげた話のようだが必ずしもそうではない。事実、人類は今、宇宙に手を伸ばす。19世紀にはそれも夢物語だった。賢治は技術が常に進歩するものだと言いたかったのだろう
 ▼この詩を読むたび、放射性物質を安全に処理する技術も早く開発されないかと願わずにはいられない。大阪高裁が高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定を取り消したのに続き、広島地裁も、伊方原発3号機に対して出されていた同様の訴えを退けた。発端となった福島第1原発は、よろいかぶとで身を固めながら、ズック靴で海辺の戦いに臨んでいたようなもの。高浜や伊方は新基準でその弱点を克服したのだから再稼働の決定は合理的だろう
 ▼住民の心配はもっともだが、これが原発依存度を下げ最適な電源構成を模索する政府方針を逆行させるとは考えにくい。放射性物質の危険を低減する技術を開発するまでの、いわば時間稼ぎとでもいえようか。このわずかな猶予の間に、気圏の中からでもどこからでも有効な技術を発掘しなければ。

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日本の科学力が失速

2017年3月30日

 明治・大正期に活躍した詩人の山村暮鳥は、「赤い林檎」という短い詩を書いている。「林檎をしみじみみていると だんだん自分も林檎になる」。見ているうち、物体にまで感情移入をしてしまう。文学者らしい感性ではないか
 ▼ところが同じ学者でも、物理学者だとこうはならない。アイザック・ニュートンはリンゴが落ちるのをしみじみと見て、なぜ下に落ちるのかそればかりが気になって仕方なかったらしい。ご存じ「万有引力の法則」発見のエピソードだが、伝記用にだいぶ脚色された話だろうと今ではいわれている。ただ、微積分法を考案するなど桁外れの知能を持っていたことは間違いない。あす31日は、そのニュートンが没してちょうど290年の命日である
 ▼現代科学を切り開いた立役者の一人だから、「世界で最も有名な科学者は」との問いに真っ先に名前が上がる人物かもしれない。日本でも多くの子どもたちに科学への憧れを抱かせ、科学大国の地位を築くのに大きな役割を果たしてきた。実はその日本の地位が今、危ういという。英学術雑誌「ネイチャー」が最近、「日本の科学研究がこの10年で失速し、科学界のエリートとしての地位が脅かされている」と発表したのである。同誌の調査で、世界の主要な科学誌に掲載される日本の研究論文が大幅に減っていることが分かったそうだ
 ▼大学への交付金カットをはじめとする科学投資の減退が原因という。リンゴも苗を植えねば熟れて落ちては来ぬ。日本の科学行政は今こそ研究者の実態をしみじみと見てみるべきではないか。

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高校生那須雪崩遭難事故

2017年3月29日

 昨年10月に亡くなった登山家の田部井淳子さんは、中国天山山脈で雪崩に襲われた経験を持つ。『それでもわたしは山に登る』(文春文庫)に記していた
 ▼一瞬にして雪面が切れ、一日かけて登った斜面を3、4分で落ちたそうだ。その間、目や鼻や口には「針のように雪がぶつかって」きたらしい。雪崩の最上部にいたため運良く埋没は免れたものの、こう実感したという。「雪崩の中に巻き込まれた人間は無力」。今回も、そう気付いたときには既に遅かったろう。栃木県の「那須温泉ファミリースキー場」で起きた雪崩遭難のことである。登山講習会に参加していた県内7高校の登山部員と教員合わせて48人が巻き込まれ、県立大田原高の生徒7人と教員1人が亡くなった。あとの40人もけがをしたという。痛ましい事故というほかない

▼分からないのは指導者がなぜこの悪条件下で、生徒を危険に飛び込ませたかである。一晩で大量の降雪があったとき、登山ではまず何よりも雪崩の発生を警戒するものだ。地形図を見ると遭難地点は雪崩の通り道のような場所である。集団が一斉に行動すると雪崩を誘発しかねないし、大量遭難の恐れもある。指導者は積雪を訓練の好機と見たのだろうが、教育意識が先に立ち、安全が置き去りにされたとすればやりきれない
 ▼田部井さんは肝に銘じていたそうだ。「頂上に立つことより、全員で帰ることのほうが大事」。登山では常にその見極めこそ難しい。講習最終日はラッセル訓練でなく、全員で無事帰るための判断力を磨く学びの場にしてほしかった。

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それぞれの春場所

2017年3月28日

 先の日曜日の夕方にはテレビの前で共に戦い、涙した人が多かったろう。大相撲春場所千秋楽で横綱稀勢の里が優勝を決めた取組のことである。13日目に負傷したにもかかわらず休場せず、もぎ取った優勝決定戦ではなりふり構わぬ捨て身の小手投げで照ノ富士を打ち負かした
 ▼窮地に追い込まれてからの逆転劇。本人たちには申し訳ないが、観客にとってこれほど面白い勝負はない。実にいいものを見せてもらった。新横綱の優勝は1995年初場所の貴乃花以来22年ぶりだという。しかも日本出身横綱である。少々熱狂が過ぎるのも致し方あるまい。優勝インタビューで稀勢の里は、「自分の力以上のことが最後は出た」と語っていた。世話になった人々、とりわけその才能を見いだし育ててくれた先代師匠の故鳴戸親方の顔も浮かんでいたのだろう
 ▼それにしても今場所は田子ノ浦部屋の存在感が目立った。弟弟子の関脇高安も12勝3敗で殊勲賞を獲得している。強い力士が育つ気風が部屋にあるに違いない。わが社にも田子ノ浦部屋のような人が育つ気風があるだろうか―。この時期、そう自問する経営者もいるのでないか。もうすぐ若者が職業生活の初場所に立つ4月である。各社とも新人を迎える準備は既に整えていよう
 ▼ただ、どんな立派な教育マニュアルがあっても、その組織に前向きの気風がなければ人は育たぬといわれる。諦めずに精進を重ねた稀勢の里、大成を信じ辛抱強く待った師匠、先輩の背を追い続けた高安。田子ノ浦部屋に学びたいものだ。会社の春場所も、また始まる。

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