コラム「透視図」

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電話今昔

2017年3月3日

 最近、道を歩いているとぎょっとさせられることが多い。例えば暗い夜道のこと。遠くから人が大きな声でしゃべりながら近付いてくる。まあ、そこまではいい
 ▼ところが近くまで来てもいるのはその人だけ。当方とすれ違う間もずっと一人でしゃべり続けている。こう言っては何だが、「危ない人なのか」との思いがよぎる。もうお分かりだろうが、スマホに付けたイヤホンとマイクで誰かと通話しているのである。作詞家の阿久悠は以前、著書『歌謡曲の時代』にこう書いていた。「今の時代の人々は常に透明人間化していて、自分の姿が他人からどのように見えているかと、気にしなくなっているのである」。阿久さんは携帯電話への懸念を示したのだが、スマホの登場でその傾向には一層拍車がかかっているようだ
 ▼きょうは電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの生誕170年の日。ベルもまさか自分の開発した技術が、未来の世で透明人間をつくり出すことになるとは考えもしなかったろう。遠藤周作のエッセー「父親、このリア王」にも電話の話題があった。氏の友人が娘の彼からかかってきた電話に出たときの話である。彼「A子さんは」、友人「おらん」。彼「どこへ」、友人「知らん」。彼「帰るのは」、友人「分からん」。不機嫌な顔で黒電話を握りしめる姿が目に浮かぶ
 ▼透明人間の不気味な独り言に比べ、こちらは何ともほほ笑ましい。とはいえ、今や彼氏彼女はスマホで直接連絡できるのだから、父親など天から蚊帳の外。昭和もグラハム・ベルも遠くなりにけり、だ。

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奇跡は誰のもの?

2017年3月2日

 宇宙には自ら光を発する恒星が数限りなくあるが、わが地球に身近な恒星といえば太陽だろう。地球が生命豊かな星でいられるのは、このエネルギーあってこそ
 ▼離れ具合がまたちょうど良かった。光が約8分で到達する距離。ストーブで温まることを考えると分かりやすい。近過ぎるとやけどするし、離れ過ぎると凍えてしまう。地球が他の惑星メンバーを差し置き快適な場所にいられるのはまさに奇跡というわけ。生命を育む環境を生み出す恒星と惑星の最適な配置。そんなまれとも思える出来事が、宇宙には案外多いのかもしれない
 ▼米国や欧州などの国際チームが先頃、地球の39光年先で生命が存在してもおかしくない惑星を見つけたと発表したのである。恒星「トラピスト1」を周回する7個の惑星だという。5個が地球とほぼ同じ大きさ、2個がやや小さいらしい。このうち恒星から遠い方の3個には水の海が存在する可能性があるのだとか。海があれば地球と同じ歴史が進行したとしても矛盾はない。SF作家J・ティプトリー・ジュニアに中編「一瞬のいのちの味わい」がある。過剰な人口増加に悩む地球から植民可能な惑星を探しに行く話だが、主要人物の一人がこんなことを言う。「あなたたちはこの新しい世界もまた地球のような地獄にしてしまうでしょうね」
 ▼今回の発見に対し、「第2の地球だ」との感想があったのを見て思い出した。生命の星発見に興奮するのもいいが、その星はその星の生物のもの。他の星の奇跡を横取りするような考えまで地球の外に持ち出すことはない。

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思い込みが強いと

2017年3月1日

 えー、毎度ばかばかしいお笑いを一席。八つぁんが浅草の観音様の前で行き倒れを見掛けた▼「こいつは同じ長屋の熊に違いねえ」。急いで長屋に戻った八つぁんはそこにいた熊を見て、「おい熊、何のんびりしてる。おめえ観音様の前で死んでたぞ」。「え、俺がかい」と熊。「きのう悪酔いしておっ死んじまったんだよ」と八つぁんが教えると、熊も「そうか」。思い込みは恐ろしい。落語の「主観長屋」である。近頃は国会のことを長屋と呼んでもおかしくないのかもしれない。こちらにも声高に主観を振り回す人物がいて、大騒動を巻き起こしているのである。小学校開設のため大阪府豊中市の国有地を購入した学校法人森友学園の一件、と言えばお分かりだろう▼近畿財務局が評価額を大幅に下回る価格で売却したのは、安倍首相が政治力を使って便宜を図ったからに違いない、と民進党が追及しているのだが…。いささか思い込みが強すぎるのではないか。一国の首相が個別の土地取引に口を出すなど。確かに筋の悪い話ではある。廃棄物が大量に埋まっていたとはいえ財務局の割引額は破格だし、購入した学校法人の教育方針は前時代的だ。しかも首相夫人の昭恵氏が名誉校長に予定されていたというのだから、民進党としてはカモがネギしょってきたようなものだろう▼ただこれ、土地取引の適法性を調べれば済む問題である。国会の大切な審議時間を費やすこともなかろう。八つぁんがいくら主張しても、首相が熊のように「ああこの行き倒れは俺だ」なんて言うオチはありそうもない。

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適切な量刑とは

2017年2月28日

 生命保険の保障内容を検討したことがある人はよくご存じだろう。本人は死亡保障のつもりで加入していても、保険金は死亡のときだけでなく高度障害に陥ったときにも支払われる場合が多い
 ▼高度障害とは両目の視力を完全に失ったり、両上肢または下肢が永久に使えなくなったりと生活に重大な支障がある状態。想像するとぞっとするが、死亡でなくとも保険金が出ると聞けば、いくばくかの安心感もなくはない。主な稼ぎ手を失うことによる痛手から家族を守るのが保険の役目であってみれば、条件をしゃくし定規にしないのは理にかなっている。これも客商売だからこそ
 ▼そこへいくと法律は融通が利かない、と文句の一つも言いたくなる。東京都小金井市で昨年5月、タレント活動をしていた女性が岩埼友宏被告にめった刺しにされた事件のことである。女性は一時重体となったが幸い命を取り留めた。それは良かったのだが、岩埼被告は殺人未遂となり初公判での検察求刑も17年にとどまってしまった。犯行の非道さ、女性が負わされた心身の傷を思えば、殺人罪同様の量刑でもおかしくないのだが。被害者を守るのが刑法の役目ではないということだろう
 ▼しかもこの男、反省する様子がない。何度も刺しておきながら、女性が「生きたい」と言うから助けてやったとの態度。しかも勇気を奮って出廷した女性に「じゃあ殺せ」と言い放つ始末だ。これでも模範囚なら10年程度で出所してくる可能性があるらしい。何とか出所後の女性保護にくらい万全は期せないものか。判決はきょう下される。

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雪山のラッセル

2017年2月25日

雪山に登ろうとするとき、まず覚悟せねばならないのがラッセルである。雪をこいで登山ルートを確保することだが、平地と違ってこれがなかなかつらい
 ▼筆者も若いころ、腰の高さ以上のラッセルで息絶え絶えになった経験が何度もある。山行では大体パーティーを組んでいたから交代しながら登れたものの、単独行ならどれだけしんどかったことか。先頭を歩き、道なきところに道を付ける苦労は並大抵ではない。そんなことを考えたのも、夕張市が22日の市議会で新たな財政再生計画案を公表したとの報に触れたからである。市はこの10年、難題がたっぷり積もった厳寒の雪山で、たった一人のラッセルを続けてきたようなものだ
 ▼体力を限界まで削り、歯を食いしばって前に歩を進めてきた。やっと展望が開ける場所にたどり着いたということだろう。児童館や図書室を備えた複合施設の建設、認定こども園の整備、市立診療所の移転改築―。新たな計画には未来を担う子どもたちのためのメニューが並ぶ。鈴木直道市長は、ことしを「10年間止まっていた『地域再生』という時計の針を動かし、リスタートさせる年」と位置付けているという。幸い国は支援を約束し、ふるさと納税も好調だ。それもこれもまだ誰も登ったことのない山を行く挑戦者を応援したいがため
 ▼主要産業の衰退、財政破綻、高齢化。多くの問題にいち早く取り組んできた夕張市は、今や先駆者であり同じ問題を抱えた多くの自治体のお手本である。この困難なラッセルの先にある頂上からの眺めは、きっと見事だろう。

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