コラム「透視図」

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良かった?

2017年4月27日

 何げない日常を歌にして、心地よいハーモニーで聴かせる女性デュオ「花*花」のヒット曲に『あ~よかった』(2000年)がある。ご記憶の人もいよう
 ▼盛り上がるサビ部分の詞はこんなだった。「あーよかったな あなたがいて あーよかったな あなたといて あーよかったな 一緒にいて あーよかったな 2人でいて」(作詞作曲こじまいづみ)。大切だと思える人に出会えた幸せを素直につづっている。「良かった」という言葉は、そんな喜びを表現するときにこそ使うものだろう。東日本大震災の発生は「東北の方だったから良かった」といった文脈では使われるはずのない言葉である。なぜそこまで心ない発想ができたのか
 ▼今村雅弘前復興相のことである。おととい開かれた自民党二階派のパーティーで復興状況について講演した際、こぼれた発言という。首都圏に近ければ被害はさらに甚大だったとの趣旨らしいが、だからといって東北で良かったとはならない。比べられる事ではないのだ。勝海舟は「政治家の秘訣は、何もない。ただただ「正心誠意」の四字ばかりだ」(『氷川清話』)とかつて語っていた。今も変わらぬ政治家が肝に銘ずべき指摘だが、今村氏の関心はその四字でなく、被害の数字にだけあったのではないか
 ▼安倍首相が即刻謝罪し、事実上罷免したのも当然だろう。被災者に寄り添うべき大臣がこれでは。後任には被災地福島選出の衆院議員吉野正芳氏を充てるそうだ。新大臣は「あーよかったな あなたがいて」と評価される人であってほしいものだが。

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むかしむかし

2017年4月26日

 この始まりの一節を、子どものころから何度聞いたか分からない。日本人なら皆同じだろう。「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました」
 ▼昔話の開演舞台あいさつのようなものである。金太郎、一寸法師などそこから語られる内容はいろいろなのだが、最後にはやはり定番のせりふで幕を下ろすことが多い。「おじいさんとおばあさんはいつまでもしあわせにくらしましたとさ」、と。なぜ昔話に高齢者がよく出てくるのかについては、敬われていたからとの説がある一方、共同体の中で役割を持たぬ異質な存在だったからとの説もある。さて、それでは今の日本で話を作るとしたら高齢者の役回りはどんなだろう
 ▼この事故の報に触れた後では、悲しい展開ばかり頭に浮かんで仕方ない。おととい、川崎市にある小田急線の柿生駅で高齢の女性2人が通過中の快速急行電車にはねられ死亡した。自殺とみられるという。手をつないで飛び込む様子が防犯カメラに映っていたそうだ。1人はかなりの高齢で、つえをついていたらしい。事情は知る由もないが、そこまで生き抜いてきた末に自殺を選ぶしかなかったのだとしたらあまりに切ない
 ▼厚労省の統計によると、80歳以上の自殺者数はこの10年ほぼ横ばいが続いている。20歳から79歳までは大幅減、中でも50代はほぼ半減しているのにもかかわらずである。何もかも高齢化のせいにするわけにもいくまい。知恵を絞らねば、「いつまでもしあわせにくらしましたとさ」の言葉が近いうち、昔話の中でしか通用しなくなる。

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北海道の桜

2017年4月25日

 本道にもようやく桜前線が上陸したらしい。気象台でなく松前町の独自観測だが、おとといの昼過ぎに松前公園の松前城前でソメイヨシノの開花が見られたそうだ
▼10年ほど前に松前を訪れたときには、幾種類かの桜が見事に咲き競う風景を眺めることができた。「桃色を重ねてさくら空に入る」松山瑛子。松前城では色調の異なるいろいろな桃色の重なりを見ることができて楽しい。そんな満開の日も、間近である。開花と聞いて、少し前に読んだ話を思い出した。ジャーナリスト池上彰氏が斎藤美奈子著『それってどうなの主義』の解説に書いていたことである
▼臨時教育審議会を取材していた際、日本の学校も9月入学を認めてはとの議論になったという。すると、「ある『有識者』が、四月入学の死守を主張して『入学式は、やっぱり満開の桜の下で行われないと』と発言したのです」。これには池上氏もあぜんとしたそうだ。その「有識者」は、日本国中どこでも桜の咲く時期は同じと信じていたらしい。北東から南西にかけて長い日本列島とはいえ、あまりにも想像力に欠ける。もとより本道の入学式が満開の桜の下で行われたためしはない。道産子にとって桜といえばやはり5月ゴールデンウィーク前後の行楽と花見だろう
▼日本気象協会の開花予想によると、函館がきょう25日、札幌が30日、5月に入り旭川が3日、釧路が14日とのこと。新年度が始まってひと月。一息入れるにはちょうど良い頃合いだ。その気持ちに寄り添うように咲く北海道の5月の桜もまた、風情のあるものである。

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自分の罪を顕微鏡で

2017年4月22日

 司馬遼太郎が昭和中期に取り上げたことで再び知られるようになった明治期の宗教哲学者に、真宗大谷派の僧侶清沢満之がいる。東大文学部に学び、仏教界の改革に乗り出した人だったという
 ▼厳しい自戒生活を実践する中で、こんな言葉を残したそうだ。「他の善と、自の悪とは、顕微鏡にて之を見よ。そのいかに大なるかを感ずべし。他の悪と自の善とは、望遠鏡にて之を見よ。そのいかに小なるかを感ずべし」。自分の犯した過ちは、わが身かわいさもあってつい過小評価してしまいがちなもの。悪気はなかった、わざとじゃないんだ、と言い訳を並べたくもなる。そこをあえて拡大して見ることで初めて、自分の罪の重さや他の人に与えた痛みが分かるというのだろう
 ▼誰にでも当てはまることではある。ただ、悲惨な交通事故を起こし、罪が重過ぎるからと下級審判決を不服として控訴していた者たちには特に、この言葉をかみしめてほしい。小樽と砂川の裁判で、相次いで危険運転致死傷罪が決まった。女性4人が死傷した小樽ひき逃げで最高裁は18日、被告の「罪が重過ぎる」との主張を退け、二審判決妥当の決定を下した。一家5人が死傷した砂川も、札幌高裁は14日、被告2人の「共謀していない」との訴えを認めず一審判決を支持した
 ▼控訴を否定するつもりはないが、裁判で見えたのは自らの罪を望遠鏡で遠く眺めるかのような被告たちの罪悪感の薄さである。これでは被害者らも救われまい。刑務所には時間という顕微鏡もあろう。今度こそ自分の罪をしっかり見詰めねばならぬ。

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PKO部隊帰国

2017年4月21日

 その日が楽しみで待ち遠しくてたまらない。そんな経験、誰にでもあるのではないか。小欄で度々紹介している読売新聞の「こどもの詩」にも、わくわくした気持ちが伝わるこんな作品があった
 ▼「きのうは/あさって/だったでしょう 今日は/あした/でしょう あしたになったら/今日なんだよね 黒部ダム/行くの」。まつざきやす子さん(小3・当時)の「黒部ダム」である。心はもうその日にいるらしい。子どもたちには小さな旅行もうれしい出来事だろう。ただ、仕事で長く家を留守にしていたお父さんが帰って来たとなれば、喜びはそれ以上だったに違いない
 ▼南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊第11次隊の第1陣が19日、帰国した。あさって、あした、きょう、と心待ちにしていたその日が、ようやくやって来たのである。もちろん子どもたちだけではない。言葉に出さずとも周囲の人々は皆、安全とは言いかねる地での活動に心が休まる暇もなかったはずだ。「ひさびさにかへり来れる村の上に低く大きく月いでにけり」(土屋文明)。派遣部隊の中心となった第9師団の拠点青森市に降り立った隊員たちも、家族の顔と見慣れた風景に触れ、やっと重い肩の荷を下ろせたのではないか
 ▼今次は「駆け付け警護」付与や消えた日報といった話題ばかり騒がれたが、何よりもまず社会基盤修復や生活支援など現地のため力を尽くした隊員の奮闘にこそ目を向け、ねぎらうべきだろう。ともあれ戦闘で子どもを悲しませる人が出なくて本当に良かった。

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