コラム「透視図」

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一九九五年一月十七日火曜日、いつもの一日が始まるはずの午前五

2002年1月17日

 ▼一九九五年一月十七日火曜日、いつもの一日が始まるはずの午前五時四十六分、M7・2…。市民の時間は止まり、ねじ曲がり、死者六千四百人、負傷者四万人、家屋の全・半壊二十四万棟、被災世帯四十三万七千…。今日、阪神大震災から丸七年。「追悼のつどい」「1・17ひょうごメモリアルウォーク」…。神戸は犠牲者のめい福を祈り、阪神大震災を胸に刻む一日になる。われわれも風化できない震災をあらためて胸に。
 ▼一九九五年一月十七日から間もなく、こんな詩が書かれた。梅村光明「激震地」―「街がこんなにも静かになるものだとは/街がこんなにも低くなるものだとは/街がこんなにも悲しくなるものだとは/…人がこんなにも大切なものだとは」。街の姿は復興で変わっても、起こったことに連れ戻す。「一瞬のうちに万物崩壊、落下が始まって…」―小田実が「深い音」(「新潮二月号」)を書いた。長編五百六十枚に阪神大震災を凝縮させるが、作品を一言で言えば、それを「忘れるな」か。
 ▼一九九五年一月十七日から七年目の昨年、一年間に兵庫県内の復興住宅で孤独死した人が四十七人を数えた。うち自殺が四人だという(朝日新聞調査)。街の姿は復興で変わっても、被災者の傷はいえない。冒頭に数字を並べたが、数字の羅列では阪神大震災を語れない。今年も札幌(サッポロファクトリー)では「1・17、KOBEに灯りを」が。スノーキャンドル三千個に火がともされた。犠牲者の命のようなそれが、それこそ理屈抜きに震災を語り、「忘れないで」と揺れる。

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太平洋炭礦の労働組合は月曜日、会社側閉山提案受け入れを決め、

2002年1月16日

 ▼太平洋炭礦の労働組合は月曜日、会社側閉山提案受け入れを決め、今月三十日の同礦閉山が確定した。同礦閉山は日本の炭鉱の終えんだ。事業は新会社が引き継ぐが、雇用は同礦離職者の三分の一だ。ヤマの男らは耐えがたい思いでいっぱいだろう。先週、採炭が終了し、シンボルの看板「太平洋炭鉱の長期存続を」も外された。閉山の提案から続く一つ一つの現実に覚悟を重ねてきたであろうとも。
 ▼太平洋炭礦閉山を一つの出来事にしたくない。働く人が直面する思いをかみしめたい。北海道の石炭の歴史は一八五六年にさかのぼる。それこそ釧路で採掘されたのが始まりで、六七年には茅沼炭鉱が操業開始した。北海道に開拓使が設けられたのは、その後の六九年だ。七三年の石狩炭田発見以降、全道へ炭鉱は広がり、最盛期は百四十を数えた。やみの中の命懸けの労働が本道を開き、国を支えた。今に至る運命については言うまでもないが、石炭で今がある。消えても忘れていけないものがある。
 ▼七六年にクラーク博士が札幌農学校に来るが、彼は米国から石炭ストーブを持参した。その石炭ストーブはやがて農学校から全道に普及した。石炭とコンビで、北海道を開く人々そのものを助けた。例えば、そうした話は埋もれ、言葉「少年よ大志を抱け」は語られて広まる。石炭は眠るままにされていくが、石炭がもたらしたものは埋もれささずにいたい。多くのものが効率、採算性などに切り捨てられてきたが(構造改革の名のもとに今も)、石炭を一つの最たるものとして。

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きょう、北広島市の輪厚川河川敷で「雪中植林」が行われる。北広

2002年1月12日

 ▼きょう、北広島市の輪厚川河川敷で「雪中植林」が行われる。北広島での本格的なそれは今回が初めてというが、百四十人もの人が参加する。やがて一帯を森にする苗木は千本用意された。水環境の保全と向上に取り組むNPO法人「水環境北海道」(恵庭)が、川を豊かにする活動の一環で主催する。参加者は緑、川の環境づくりに触れる。が、寒さの中に身をおいてそれ以上のものに触れるだろう。
 ▼森づくりの人・東三郎北大名誉教授が考案の「カミネッコン」は植樹を容易で確実なものにし、広く普及する。全国で知る人ぞ知る。この「カミネッコン」は冬での成果が著しいとされ、雪中植林もまた普及する。積もった雪には保温効果がある。苗は雪に守られる。雪の融けるころ、根の活動を始めるが、水分が十分あるので、春先にはよく根の張った丈夫な苗木が育つらしい。厳しい冬が生命をはぐくみ、生命も冬を強く越える。例えば、雪中植林は自然の根源的な営みや力を気付かせもすると思う。
 ▼札幌の詩人中川悦子さんが、かつて雪中植林した体験の感動をつづる。「植え込んだ苗木の上から、半信半疑で雪をかぶせた…大人の背を越すまでに成長した若木の群れ…間違いなく私たちが植え、雪が守り育てた木々だ」。中川さんの感動はそこからくるものだ。筆者などは、こんなふうにも思えてしまう。雪中植林に北海道の姿を思う。雪も北海道なら、木も北海道、そうやって北海道は歴史を開いてきたのだ、と…。今、北海道も来る春に向け「雪中植林」を行うべきときか。

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「障害者」としてきた表記を「障がい者」に改める。東京の多摩市

2002年1月11日

 ▼「障害者」としてきた表記を「障がい者」に改める。東京の多摩市がそんな変更に踏み切ってから、ちょうど一年になる。障害は人が持つ個性の一つにすぎないのに、「害」という語はイメージが良くない。「害」はふさわしくはない。多摩市はそうした考えに基づき、「害」は平仮名の「がい」を使うことにした。役所内の文書類はもちろん、広報など市民向けのものも、「障害者」は「障がい者」に切り換えた。
 ▼「害」の意は「損失」「災い」だ。「害悪」「危害」などと使われて、確かにイメージは良くない。多摩市によると、「実施して一年、変更は市民に広く浸透した。異を唱えるのは一部です」。障がいのある人(多摩市の表記を用いれば)も、「障がい者」の方が良いと受け止めてくれるという。多摩市の取り組みを踏まえてだろうか。埼玉の志木市も、昨年四月から同様の主旨で表記変更を行った。やはり、「障害者」は「障がい者」になった。が、こうしたことは障害ある人への対応において一つの前進なのかどうか。
 ▼多摩市民の中で「(表記変更に)異を唱えるのは一部」だというのは、実は意外だ。反対する側が言うのは、「障がい者」は小手先の書き換えで、根本的な問題解決には役立たない―だった。それもしかりで、だから、もっと議論が起こると思えたのだが。「害」という語のイメージが良くないなら、「障」はどうか。「障」の意は「差し支える」「遮る」だ。「故障」「障壁」などと使われる。「障」だって、いただけない。この国、人に対する問題ではまだ「後進国」、元へ「発展途上国」だ。

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青い空の見える日が続いたが、やはり、冬である。雪は降る。一転

2002年1月10日

 ▼青い空の見える日が続いたが、やはり、冬である。雪は降る。一転して八日、九日と全道で荒れた。晴れの日は気持ちも晴れる。一転して、うんざりの日が来た。太陽の明るい光が届かない。降る雪自体だけじゃなく、そのことも気持ちを沈ませる。人は生体リズムを持って生きる。目でとらえた太陽の光で「体内時計」を調整し、生活のリズムと体のリズムを守る。人も太陽で生きる生き物なのだ。
 ▼大事な太陽の光のことで、実は最近、こんな二つの話を聞いた。知人の祖父が昨年、旭川の中核病院に二カ月入院したという。そのときのことだ。知人の祖父は六人部屋に入るが、廊下側のベッドだった。窓は部屋の一面にしかなく、ほとんど太陽の光が届かなかった。狭くて暗い空間にいて、時間を知るのは時計頼りになった。「体内時計」が狂ったらしい。時間感覚がずれ、日に日に元気がなくなったそうだ。頭はしっかりしていたのに、おまけに看護婦さんがこう言ったという。「ぼけたんじゃない」
 ▼病院は建て替えられて十数年、そう古くない。知人は看護婦の一言にも驚いたが、素人ながら医療の建物の在り方に疑問を抱いたという。その後、札幌で知人はできて間もない特養老人ホームを知る。陽光を重視し、施設に三百六十度光が入る設計で建てられ、入居者は元気で笑顔だったそうだ。二つのことは医療と福祉の違いなのか、年月の差なのか―に知人は戸惑うが、このことだけは見えたという。「太陽の光は大事」「建物を建てる人たちがそれにこだわることが大事」

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