コラム「透視図」

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春のクマ

2017年4月18日

 アイヌ言語学者知里真志保氏の著書『和人は舟を食う』(北海道出版企画センター)に、「熊祭と仮装舞踏劇」の一項がある
 ▼説明にはこうあった。「冬ごもりの穴から出て来た熊が山を彷徨しているうちに人間の狩人に会ってその手に討取られるに至る経緯」、その一つ一つの動きを舞と歌で表現したもの。道民ならご存じの人も少なくないと思うが、このときのクマは人間にとって、神でもありお客さんでもある。「熊祭」が悠久の昔から伝承されてきたことを考えると、時代は移れど厳として変わらない自然の秩序があることにあらためて驚かされる。アイヌにとってクマは、冬の終わりと春の恵みを実感させてくれる季節の便りだったろう
 ▼その季節がまた巡ってきたということか。標茶町塘路の山林でおととい、一人で山菜採りをしていた男性がクマに襲われ、頭や顔などにけがをしたという。幸い命に別状はなかったようだが、男性にとってはもちろん、クマにとっても不運な出来事だったに違いない。1日に始まった道の「ヒグマ管理計画」によると、近年は春グマ駆除の廃止で捕獲圧が緩んだため、人を恐れないクマが現れているそうだ。また一般人の被害で最も多いのは山菜やキノコ採りの際とのこと。危険は重々承知していても集中すると周りがお留守になる。身に覚えのある人も多かろう
 ▼この時期、山に入らねばならないなら本紙15日付のヒグマ対策グッズ記事が参考になろう。ただ、お客さんでも遭わないに越したことはない。今、出くわして討ち取られるのは大抵人間の方である。

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クラーク博士

2017年4月15日

 「本屋大賞」でことし2位となった『みかづき』(森絵都、集英社)は、戦後、自分の頭で考えられる子どもを増やしたいと塾経営に乗り出した夫婦とその家族三代の物語である
 ▼塾教師は子どもに火を付けるマッチのようなもの―。「燃えつきて灰になったとしても、縁あって出会った子たちの中に意義ある炎を残すことができたなら、それはすばらしく価値のある人生じゃないか」。そんな言葉が強く印象に残る。この人物も、まさに同じことを考えていたのではないか。本道に農業ばかりか学問や開拓者魂の炎を残していった札幌農学校初代教頭ウィリアム・スミス・クラーク博士のことである。8カ月の教授生活を終え離札したのが、140年前のあす16日だったそうだ
 ▼別れ際、島松駅逓所で馬上から学生たちに呼び掛けた「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)」のメッセージ。今も連綿と語り継がれるこの言葉に背中を押され、人生の新たな挑戦に踏み出した人も多くいるに違いない。博士の晩年は不遇だった。新たな大学の設立計画は頓挫し、鉱山経営にも失敗。病に苦しみながら失意のうちに世を去ったという。ただ自らの人生を振り返り、札幌の8カ月間は最良の日々だったとよく語っていたそうだ
 ▼森さんの小説の題名『みかづき』は、「満月たりえない途上の月を悩ましく仰ぎ、奮闘を重ねる」教育者を象徴したもの。博士自身の追い求めた月もついに満ちることはなかったが、140年後の本道を見れば、満月とまではいかなくとも少しは満足してくれるのでないか。

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熊本地震から1年

2017年4月14日

 ある町の移住促進PR動画に「オカエリナサイが聴こえる町」というイメージソングが使われている。飾り気のない町の日常風景とともに流されるその歌はとても優しい
 ▼例えばこんな歌詞があった。家族とけんかした次の朝、暗い気持ちで階段を下りていくと、聞こえてきたのはいつもと変わらぬ元気な「おはよう」の声。そして歌はこう続くのである。「一つ一つが積み重なって 当たり前の日々が輝き始める」。実はこれ、熊本県益城町が震災の前の年に制作していた動画である。未曽有の大地震が連続して起こったあの熊本地震から、きょうでちょうど1年。動画で伝えられた、都会の便利さも自然の豊かさも人の温かさもある当たり前の日々は、まだ戻ってきていないようだ
 ▼がれきの撤去はだいぶ進み、やっと本復旧に入れるところまではきたらしい。ただ、みなし仮設とプレハブ合わせ7600人、人口3万3000人の町のおよそ4人に1人が、いまだ不自由な仮設暮らしを強いられているという。先の曲を提供したのは、シンガーソングライターの樋口了一さん。鈴井貴之、大泉洋両氏の掛け合いの面白さで人気を博した『水曜どうでしょう』(HTB)のエンディングテーマ「1/6の夢旅人」を歌っていたと言えば、お分かりになる人もいよう
 ▼樋口さんは熊本市出身。震災後は精力的に支援ライブを重ねているそうだ。そうそう、曲の中にはこんな一節もあった。「がんばれ 大丈夫 元気出して 見守っていると聞こえた町」。空耳ではない。本当に多くの人が心でそう叫んでいる。

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北海道みんなの日

2017年4月13日

 せんだいメディアテークの設計を手掛けたことでも知られる建築家の伊東豊雄氏は東日本大震災後、被災地で「みんなの家」と名付けた木造の小屋作りに取り組んだ
 ▼仮設住宅や形ばかりの集会所はあっても、住民が気軽に集まってくつろげる場が当時、なかったからである。使う人と建てる人が一緒になって作った10坪程度の小屋は、完成すると、みんなで話をしたり食事をしたりできる憩いの空間になったという。地域と心を一つにして建築を進めるのが伊藤流。それをよく示す例だろう。「みんなの家」の名の由来についても、『あの日からの建築』(集英社新書)にこう記している。「何と凡庸で何と閃きのない名前だと思われるかもしれません。でも被災地の高齢者と話すにはこのわかりやすさしかないと思いました」
 ▼こちらも意図するところは同じかもしれない。道が先頃、条例で「北海道みんなの日」を制定したのである。3月31日に公布・施行、7月17日が1回目の「みんなの日」となるそうだ。縄文、アイヌ、開拓と続く歴史と豊かな自然、それらに培われた文化や産業を理解し、一体となってこれからの北海道を築いていくきっかけにするという。郷土愛の強さには定評のある道民だが、広さ故「みんな」が一枚岩にはなりにくい。さて条例はそこをどう乗り越えるのか
 ▼伊東氏も作っておしまいの建築では「みんなの家」にならないと考えた。完成後にこそ人々の心をつなぐものでなければ、と。当初から多くの住民に関わってもらったのはそのためである。条例もそうだといい。

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2065年の人口は

2017年4月12日

 古希を過ぎた今でも毎日休むことなく厨房(ちゅうぼう)に立ち続ける天ぷら職人がいる。東京の門前仲町に店を構える「みかわ是山居」の主人早乙女哲哉さんである
 ▼その早乙女さんがNHKの人物ドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」に取り上げられた際、こんな目標を披露していた。「130歳まで追い掛けるつもりでいるの。60歳で辞めようと思って線を引いたら、それでおしまいなのよ」。現実に生きられるかどうかはまた別の話。ただ、そこまで自分に言わせるのは「穴を埋め続け」たいからだという。穴とは自らの技術の至らない点のこと。道を究める職人の執念を見た気がした
 ▼国立社会保障・人口問題研究所が10日、日本の人口は2065年に8808万人にまで減少するとの推計を公表した。65歳以上の高齢者が占める割合も38.4%と4割に迫るらしい。何とも寒々しい推計だが、もし早乙女さんのような高齢者が増えるなら、それほど心配することはないのかもしれない。日本老年学会などが医学や生活実感から「高齢者は75歳以上とすべき」と提言したことは以前、小欄でも触れた。それが実現すれば高齢者人口は10歳分減り、生産年齢人口は同じだけ増えることになる
 ▼出生率の改善や女性の社会進出が軌道に乗るまでの苦肉の策だが、生産年齢の枠を広げるだけで経済の循環を促せるなら試して損はあるまい。それに、いくつになっても向上心を持ち続ける早乙女さんのような人は日本に多いはず。結局のところ国の力は人口でなく、人で決まるのである。

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