e-特集北海道新幹線

《特集》北海道新幹線が待望の開業

(3)世紀の巨大プロジェクト・青函トンネル

2016年3月26日付

青函トンネル開業までの歩み
年次出来事
1954年洞爺丸事故が発生
1964年日本鉄道建設公団発足
調査斜坑掘削を開始
1965年北海道側で先進ボーリング開始
1968年北海道側の吉岡作業坑掘削開始
1971年北海道側と本州側で本工事着手
1976年吉岡側作業坑で大量の異常出水
1979年竜飛側作業坑完成
1980年吉岡側作業坑完成
1983年先進導坑貫通
1985年本坑貫通
1987年青函トンネル完成
1988年青函トンネル開業

 構想から40年余りの歳月を経て完成した青函トンネル。全長53・85kmと当時は世界一の延長を誇り、日本の土木技術を世界に知らしめた。エンジニアの情熱が凝縮された世紀の巨大プロジェクトを振り返る。

 1954年、荒れ狂う台風により、青函連絡船「洞爺丸」など5隻の船が沈没した。死者行方不明者は1430人に達し、日本の海難史上最大の惨事となった。

 青函トンネルは第2次世界大戦前に構想が計画され、本格的な調査は46年に国鉄が「津軽海峡連絡ずい道調査委員会」を設置し調査がスタートしていたが、洞爺丸事故が契機となり、トンネル建設の機運が一気に高まった。

 洞爺丸事故から10年後の64年、日本鉄道建設公団が発足し、同公団により福島町吉岡地区で調査斜坑掘削が始まった。青函トンネル建設工事のスタートだ。

軟弱な地盤や水圧による出水などの困難が待ち受けた

過酷な条件の中、掘削作業が続けられた

 期待を背負っての工事開始だったが、掘削工事は難航を極めた。特に海底部の工事では、計4回の異常出水が発生。このうち、76年5月6日に吉岡側作業坑で発生した異常出水は、毎分80t以上の水があふれ、関係者がトンネル水没を覚悟するほどの危機的状況だった。

排水時間を稼ぐため本坑に水を流すことになった

毎分80tを超える異常出水にトンネル水没の危機を迎えた

 吉岡側作業坑は、大成建設・間組(現・安藤ハザマ)・前田建設工業共同体が施工を担当し、大成建設の下請けには函館市に本社を置く川元建設が入っていた。当時、作業坑は海底下約200m、吉岡工区のほぼ中間地点の約4.6kmまで掘り進んでいた。

 押し寄せる水を何とか止めようとして、作業員が昼夜を通してセメント袋を積み上げたバルクヘッドを構築するが、完成したころには水が来てバルクヘッドを押し流す。交代してまた作業を繰り返す。水はトンネル工事の生命線である先進導坑に迫った。

 先進導坑は作業坑と本坑の下を走っている。先進導坑の最下部には、3本のトンネルからわき出る水を地上へと排水する大型ポンプがあり、これが水没するとトンネル工事そのものを断念せざるを得なくなる。 次へ

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