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【北の民俗文化】第24回「寺の化け物の話」古しくなれば生入ってるもんだしけ

42年前の昭和57年8月、『日本昔話通観』(稲田浩二・小沢俊夫責任編集、全三二巻、同朋舎)の編集に関わっていた当時立命館大学教授の岡節三氏を責任者にした道南地方の旅に、同行したことがあります。その時、工藤義二氏(桧山郡上ノ国)の昔話「宝化け物」をお聞きしました。原題は「寺の化物の話」を要約して紹介します。

「むがし、あるところにのう、化け物の出る寺あったど。夜になればのう、その寺での、毎晩(めえば)げ、〈スチャンチャガラ、スチャンチャガラ〉て、にぎやかだ音こ聞けるはんで、誰もはあ、行ぐ者ねがったど。」で語り始めます。そして村で大変元気な若者が化け物を退治しようと寺に行って待っていた。夜になってくると

「柱の下がら、なんだんだかえっぺ出てきたんだと。若者だまって見でだきゃ、けら着た化け物だの、笠かぶた化け物だの、古しつづらの化け物だの、ジャンガラの鉦の化け物だの、古してごだの、えっぺ出てきて、?ふるみ、ふるがさ、ふるがね、ふるでご、ふるつづみ てはやしながら踊ってだど。」

若者はおもしろくなって、古ゴじゃの化け物になって、夜明けまでみんなと踊った。

翌朝、村の人が心配になって寺に行って見ると若者は昨夜の話をするのだった。

「村の人だちゃ、みんなで柱の下ば掘ってみだきゃ、そごにのう、古しけらだの、笠だの、つづらだの、鉦だの、でごだの、つづみだの、えっぺ入ってあったど。

むがしの人だのう、そのけらだの、笠だのばのう、宝物にしていたもんだすけ、古しつづらだの、その中の大判だの小判だの、銭こあ、えっぺ入ってあったど。

したしけの、なんのもんでも、古しぐなれば生入ってるもんだしけ、粗末にしねでおぐもんだとせ。」『道南地方の昔話を求めて』(自家本、限定50部、1983年3月)

私は45年住み慣れた家からサービス付高齢者住宅に4月中旬移転しました。長年いつかは使うんでないかと思って「断捨離」出来なかった家具、家電などを処理せざるを得なくなりました。後見人の娘夫婦の強い要望や私も後に残る人達への負担のことや自分自身の終末期の責務として断固しなければならない作業として決断したいです。

それにしても大型ゴミ処分に対する複雑な思いやコピーした史資料などを感じさせられる作業です。その作業のなかで、上記の昔話を思い出しました。なにせ私の「生」入っている数々の「もの」ですから当然かもしれません。

大量生産と使い捨て、無造作に身の回りのものが処分されてゆく風潮とそれに抗する「もったいない精神」のあるなかでの有効利用の思いを考えされられている昨今です。お寺のみならずあちこちから「宝化け物」が、夜になると踊り出すかもしれませんね。その時も一緒に踊りだすことができる自分でいたいものです。

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阿部敏夫(あべ・としお) 1941年栗山町生まれ。北海道学芸大(現北海道教育大)札幌分校卒。博士(民俗学)。コラム「北の民俗学」では北海道の生活や記録・記憶を通して当時の人々の暮らしぶりや心情に着目し、現在に生きる者へのヒントを伝える。


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