道産子ソロアルピニスト・栗城史多さんの著書「一歩を越える勇気(サンマーク出版)」が話題です。マッキンリーをはじめ6大陸最高峰の単独登頂、単独無酸素(酸素ボンベを使わない)によるヒマラヤ8,000m峰3座の制覇など、登山歴6年の栗城さんが、高度な登山に挑み、成長を遂げていく姿が生き生きとつづられ、発売1カ月足らずで2万部を越える売上を記録。栗城さんは「冒険の共有」を信条に、執筆のほか、講演やブログ、インターネットの動画配信で、自身の登山の模様を多くの人たちに伝えながら、「山」に挑む日々を送っています。
これまで山は、登山家が自己実現を果たす場であって、登山になじみの無い私とは懸け離れた世界だと思っていましたが、著書や映像で知る栗城さんの奮闘には、自分の日常を重ねる事も多く、心が動かされます。
栗城 山登りは楽しいとつまらない。苦しければ苦しいほど楽しいんです。登山を始めて間もなく、山岳部の先輩と1週間かけて冬の中山峠を縦走しました。僕にとって2回目の冬山で、先輩に付いて行くだけで精一杯でしたが、ゴールの小樽で海に足をつけた途端、ぼろぼろと涙が出てきて。何かを遂げて、泣くほど感動するなんて初めてでした。
世界の高峰と呼ばれる山を登るとなれば、高山病は必至。雪崩の規模も尋常ではなく、心身の負荷は他の比ではありません。でも登頂の瞬間、その苦しみががらっと喜びに変わる。苦楽の振り幅が大きければ大きいほど感動は深いものです。山登りは過程に意味があり、それは地上の生活にも通じることだと思います。
「冒険の共有」にこだわるのはなぜですか。
栗城 マッキンリーの遠征は、中山峠の縦走から1年半後でした。登山経験の浅い学生には無謀な挑戦だと反対もされましたが、山への思いを確信していた僕に、やる前からあきらめるという選択肢はありませんでした。マッキンリーでの経験が教えてくれたのは、不可能は人間の心が勝手につくっているだけだということ。
この実感を、山と出会う前の僕のように自分の殻を破れず苦しんでいる人たちと共有できれば、彼らにはだかる不可能という心の壁を取り払えるのではと考えました。それに、読者や視聴者から寄せられるメッセージに、僕自身励まされ、後押しされることも多いんです。
特に心に残っているメッセージは。
栗城 3年前にヒマラヤ初遠征(8,201m、世界第6位の高峰・チョ・オユーの単独無酸素登頂)の様子を、インターネットサイトで毎日動画配信する企画がありました。タイトル(「ニートのアルピニスト初めてのヒマラヤ」)の影響か、それを見たニートやひきこもりの人たちから、「栗城は登れないだろう」とか「死んじまえ」とか、ネガティブなメッセージも届いて。それだけに、頂上に達し下山した後、彼らが投稿してくれた「ありがとう」がうれしかった。この言葉のおかげで、自分を極めるばかりだと思っていた山登りが、僕以外の誰かにも勇気を与えていると感じることができました。
昨秋は、成功すれば日本人初となるエベレストの単独無酸素登頂に挑まれ、残念ながら途中で断念されました。下山の決意は、大変勇気のいることだったと思いますが。
栗城 確かに頑張ればもう少し行けたかもしれないけれど、下りなければ、またチャレンジできないんです。エベレストからは、世界で初めてインターネットによる生中継を試みるつもりで、2年の月日と相当な費用を掛けて準備をしていましたが、政治的な問題で中止勧告が出され、「冒険の共有」も途中で断念せざるを得ませんでした。僕は再び登りたい。だから生きて帰りたいと思いました。
活動を通し伝えたいことは。
栗城 夢は、実現までのプロセスを一つ一つクリアしていけば、かなえられるということです。そこに至るまで挫折をしても、決してマイナスではない。もし失敗と呼ぶものがあるとすれば、それは夢にチャレンジしないことだと思います。人間はご飯やパンを食べて「生きている」けれど、夢を持ち続けることで「生きられる」。それがあるかないかで、健康もメンタリティも人生の方向性も違ってくると思います。
なぜ山に登るのか、と聞かれたら、僕は「夢や希望を持ち続けたいから」と答えます。世界に8,000m級の山は14座あり、僕が登ったのはそのうちの3座。残りは11座もあります。K2(8,611m、世界第2位の高峰)登頂の様子を撮影し、CGではない映画も作ってみたいし。楽しみはまだまだ、これからです。
取材を終えて
進化する思いの力実感
栗城さんは、意外に小柄(身長162センチ、体重60キロ)です。筋量や肺活量も同年齢男子の平均以下だそうですが、登頂を遂げようとする意志に身体が適応し、運動量が増えても、呼吸数や心拍数を一定に保てたり乳酸値を下げられる能力が備わったのだとか。思いの力で人間は進化する、と語る栗城さん。夢さえ持てないという人もいるやりきれない風潮を覆すような、大きな力を感じました。