イーベック(札幌市)は、ヒト血液のリンパ球から取り出す「完全ヒト抗体」を開発・製造するバイオベンチャー企業です。2003年、北海道大学遺伝子病制御研究所(高田賢藏所長)の研究実用化を目的に、産学官の連携で設立され、2008年には、製造した「完全ヒト抗体」のうちひとつの開発・製品化の独占権について、ドイツの大手製薬会社から、前払金及び開発進捗に応じ支払われるマイルストーンとして、総額5500万ユーロ(契約時の日本円でおよそ88億円)と、製品化後の販売実績に応じたロイヤルティーを得るという高額ライセンス契約を締結。感染症や癌など難治と言われる疾患への効能が今後ますます期待される抗体医薬。その開発競争も激しくなっていると言われる中、北海道の一ベンチャーであるイーベックの躍進が、大きな話題となりました。
土井さんは、ヒューマン・キャピタル・マネジメント(以下HCM)を起業され、広く新規事業支援に携わっています。その一環で、イーベックの経営に参画されていますが、海外メガファーマーとの契約には、どのような戦略で臨んだのでしょうか。
土井 私の信条は、「戦を略する」と書く「戦略」です。ベンチャー企業が、数百億円規模の研究資金を持つ製薬会社とまともに競争しても勝てませんが、イーベックのミッションは、あくまでも、患者さまを救う事。
例えば、インテル社が開発・製造したCPUは世界各社のパソコンに搭載されています。それによって、パソコンの性能は向上し、同社は半導体メーカーとして成長しています。イーベックも、製薬会社と戦うのではなく、独自の技術に集中し、製薬会社に良い材料を提供する事業に特化すれば、結果として、製薬性能が上がり、多くの患者さまを苦しみから救うことができるのではないかと考えました。
しかし、「完全ヒト抗体」の開発・製造の成功例は世界的にも珍しく、眉唾ものだろうと言われることも少なくありません。しかも、製薬業界は、薬が患者さまの手元に届くまでに、その安全性と有効性を確認する試験が何年にも渡り繰り返されるほど厳密。イーベックには、製薬会社が納得できるレベルの動物実験や治験データの準備をする資金も設備も、時間的余裕もなく、資金繰りは徐々に苦しくなって行きました。
でも私には、イーベックの技術が世界の医療に貢献するという確信がありました。その技術力を世に出すために、研究には、品質の安定を求める製薬会社側の視点に配慮した「標準化」にも照準を合わせるよう努めてもらいました。
それに、高田先生たちは、ともすれば製薬会社にアピールするには不利な研究データでさえも、真摯に提出してくれたんです。こうした研究者の姿勢も、契約に至る信頼につながったのでしょうか。起業から6年。業界では異例と言われる早さで、ドイツから朗報が届きました。
HCMは、これまで100社以上の起業支援に携わっていると伺っています。神戸出身の土井さんが、北海道の起業支援に腐心されるのはなぜですか。
土井 新卒で入行した信託銀行で札幌支店に配属され、間接金融の役割に加え、企業の営業支援や地域づくりにも携わっていました。8年の東京暮らしを経てUターン後、たくさんの地域資源がありながら、なかなか立ち行かない北海道の地域振興に目が向き、経済構造への知見を深めるべく小樽商科大学大学院商学研究科に入学。
そこで、北海道には、当時にして2兆数千億円の域外収支赤字があって、そのほとんどを公共投資で賄っている実情に危機感を抱き、赤字を減らす産業創出に大いに関心を持ちました。
大学院入学と同時に商大のビジネス創造センターのお声がけで、ある北大発医療系ベンチャーの創業に参加し、北海道の技術力の真価を痛感。北海道の技術、つまり人の「能力」を強みにした新産業を創造し道外に出していけば、この地に富が還流すると強く感じた事が、HCM起業の契機になりました。
土井さんのご活動を通し、起業支援は、場合によっては、支援企業の当事者として経営に参画し汗をかくほど、企業の成長に深く関わるお仕事なのだと実感しました。
土井 お客さまには、HCMは支援機関や指導機関ではなく、皆さんと並走するパートナーだとお話しています。技術も含め、北海道は、他の地域にはない、人を喜ばせる素材に溢れていますから、それが強みだともっと自信をもって、ビジネスに生かしてもらいたい。その生かし方に迷っているなら、共に考えます。
ベンチャーでもイーベックのように大企業とアライアンスを組んだり、良質で高価な商品を販売したいなら、まずは無料提供しその後使用料を継続して収めていただく方法で、販路を拡大することもできる。
今すぐには形にならなくても、道路交通法の改正で運転代行業が生まれたように、法律や制度が新しくなる時期に焦点をあてた新ビジネスだって構築できます。こうした私たちの経営「技術」が、起業の何らかの役割を担って、一緒に走って行ければ。そこに、この仕事の充実感がありますね。
取材を終えて
得意分野生かす視点
中学時代の学校行事で、無人島生活をしたという土井さん。草を刈り道をつくる人、家を建てる人、隣の島までカヌーを漕ぎ食糧を取りに行く人、料理する人。それぞれが得意分野を担いようやく成り立ったキャンプの経験が、今の活動の原点だと振り返っていました。失敗は「I」に、成功は「We」で、と話すリーダーの視点に、学びの多いインタビューでした。