伊勢ファーム(旭川市江丹別町)のブルーチーズ「江丹別の青いチーズ」が人気です。その美味しさは、料理人や食通の口コミで広まり、JAL国際線のファーストクラスでも提供されるなど、高品質な国産グルメとしても注目されています。江丹別の風土にかなうチーズづくりで地元の魅力を伝えたいという伊勢さんにお話を伺いました。
★独特の味わいがあるブルーチーズは、日本人にはなじみづらい食味と言われていますが、江丹別の青いチーズは、ブルーチーズが苦手だった方にも好評なんだそうですね。
☆伊勢 チーズをつくるなら、何か一種類に専念したくて。江丹別は、山間で寒暖の差が激しく、フランスの多くのブルーチーズの産地と似通った風土。これならうまく行くんじゃないかと。ただ、日本人にとって、青カビといえば腐敗の代表のようなもの。食品として広く受け入れられるためには、美味しくて「これは面白いな」と思ってもらえるような、好奇心をかき立てる工夫をしなくてはと思いました。
まず、原料の牛乳の鮮度に着目した製法を思案。実は人間って「古いもの」を美味しくないと感じるんです。牛乳は搾られすぐに劣化が始まります。劣化が進めば進むほどタンパク質や脂肪の分子が崩れ、チーズの熟成も不均一になってしまう。結果、舌という感覚器官が「古くなっている=美味しくない」と察知してしまうんですね。
そこで僕は、朝夕乳を搾るごとにカード(凝乳)をつくって、それらを一つに合わせ成形することにしました。これは、牛乳を冷蔵保存するすべがなかった中世ヨーロッパ時代に伝わる製法です。非効率で大量生産に不適なため、現在こうした手順を実践しているところはヨーロッパでも少ないと聞いていますが、小規模な工房だからこその製法だと俄然(がぜん)やる気になりました。
頼りは文献の資料くらいでしたけれど、微生物によい仕事をさせるという〝軸〟がぶれなければ、必ずよいチーズができると信じ独学で試行錯誤。試作開始から半年ほど経った頃、塩と青カビの刺激と牛乳の味のバランスがすこぶるよく、口に入れて飲み込むまで、それぞれの味わいが生きている、想像していた通りのブルーチーズができて。質感も比較的固くぼろっとしているので、輸入チーズに精通している料理人さんたちにも、他のブルーチーズにはないユニークな特徴に創作意欲がわくと、喜んでいただいています。生産量は1日に最大10㌔ほどで精一杯ですが、生産が間に合わない状況でも待ってくださるお客さまもいて、本当にありがたいです。
★伊勢さんのお父さまは酪農家です。離農や後継者問題に悩む農村地域も少なくない中、伊勢さんのご活躍に明るい兆しを感じます。
☆伊勢 父は、酪農家を志ざし愛媛県から移住してきました。以来30年以上、放牧地に化学肥料を与えず、冬場の飼料も自家製の乾草を中心に使用。搾乳の機械や運搬ポンプなども使わず、草食動物である牛にとって自然で、極力ストレスをかけない酪農業を実践しているんです。それだけに牛乳は良質で美味しいのですが、父母の重労働を見て育った僕は、酪農は楽しくない仕事だと、しばらく家業を好きになれずにいました。
それが10年前、父がソフトクリームの販売を始め評判となり、牧場を訪れるお客さまが喜んでくださる光景を目の当たりにし、牛乳の加工に興味を持つようになって。その後チーズ職人を目指して帯広畜産大学に進学。卒業後は新得町の工房で1年半チーズづくりの基礎を学びました。実習では、同じ時期に同じつくり方をしたチーズで、原料の牛乳の生産牧場だけが異なる3種類を食べ比べる機会がありました。驚いたことに全て味が違っていたんですよ。チーズが、生産地の気候風土や牛の飼い方などの違いで、これほど変わるものなのかと衝撃を受けて。チーズづくりの奥深さを思い知る実習の日々に、江丹別で育まれ、両親が腐心し生産した牛乳で、江丹別のポテンシャルを最大限に表現するチーズをつくってみたいと、ますます気持ちが高まり、のめり込んで行きました。
★伊勢さんのチーズの美味しさは、伊勢ファームの取り組みそのものを物語っているのですね。
☆伊勢 以前は、過疎化する江丹別には夢も希望もないんじゃないかと落胆するばかりでした。でもチーズをつくるようになってから、美味しいと言ってくださる方々のお声は、生産地である江丹別へのお言葉なのだとも理解できるようになって。僕はチーズ職人として、なんて恵まれた環境で生まれ育ち、暮らしているのだろうと。その幸運に気付けてから、地元や家業に対する後ろ向きだった思いが、180度前向きに転換しました。
チーズをつくり始めて2年。ヨーロッパのチーズなどに比べれば、完成度という点ではまだまだですけれど、勝負できないとは思っていません。チーズの魅力は多様な味わい。生産の歴史が浅く、規模は小さくても、存在意義は十分あると自信を持っています。今も、チーズをつくり美味しいという反響をいただく毎日に、これ以上はないと思えるほどの達成感を味わっています。
このまま10年後も20年後も、気負わず、ひたすら良質のチーズをつくり続けたい。身の丈にあった、変わらぬチーズづくりを通し、その美味しさを育み産む、江丹別の価値を伝えていけたら本望ですね。
取材を終えて
静かな情熱を持って
チーズづくりの視察で訪れたフランスで、価格の変動が憂慮される穀物の飼料には頼らず、持続可能な牧草地での酪農が確立していることに感動したという伊勢さん。ご自身も、〝その土地にあるもので生きる〟という、農業の原点ともいうべき境地に少しでも近づけたらと話します。江丹別で農業と地域の未来を標榜する伊勢さんの、静かな情熱を感じるインタビューでした。