真砂徳子の起ーパーソン 風をおこす人々 第45回 株式会社カンディハウス取締役相談役 長原 実(ながはら みのる)さん

2014年07月18日 20時02分

 長原さんは、家具メーカー、カンディハウス(本社・旭川)の創業者です。木工のまち・旭川の隣り、東川町で生まれ育ち、1950年、15歳で家具職人の道に入りました。63年、市の海外派遣技術研修制度により渡欧し、デザイン大国・ドイツの家具工場で修業後、68年に、前身の株式会社インテリアセンターを起業。以来、機能美とクラフトマンシップが生きたカンディハウスの「ものづくり」は、国内外で支持され続けています(現在、国内10カ所13店舗を展開し、米国とドイツに現地法人を設立)。3年前には、公立「ものづくり大学」開校を目指す市民団体を立ち上げた長原さん。未来を創る「人づくり」にも、意欲的です。

★長原さんが、家具職人を志した経緯は。

長原 実さん

☆長原 私は開拓農家の3世で、9人兄弟の三男です。早く手に職を付け自立しようと家具職人を志しました。地元の家具メーカーに就職し4―5年経ち、何とか食べていけるようになった頃、地場産業の振興を図る旭川市木工芸指導所(今の旭川市工芸センター)の松倉定雄所長から、日本ではまだなじみの薄かった「デザイン」に関する外国の書籍を見せていただき、そこに紹介されていたデザイナーと、その作品の格好良さにときめきました。

 そもそもは彼らも家具職人。目指す先に、デザイナーという道があることを知り、一気に世界が広がったんです。間もなく、デザインを学ぶために上京。いったん旭川に戻り復職したものの、デザイン先進地のヨーロッパに渡る日を夢見ていました。

 そんな矢先、市が海外派遣技術研修制度の希望者を募り、いの一番に応募。ドイツ行きの切符を手に入れることができたんです。受け入れ先は西ドイツの家具メーカーで、技術研修生として、出稼ぎ外国人と寝食を共にしながら、彼ら同様仕事に応じて給料をもらいました。

 いずれは、デザイナーとして身を立てる夢がありましたから、給料や仕事以外の時間の大半は、もっぱら芸術鑑賞に費やしていましたね。3年半で100カ所以上のミュージアムを巡り、〝本物〟の圧倒的な美に触れました。感性を磨き、審美を養う貴重な学びの時期だったと思います。

★帰国後は、家具メーカーを起業されました。

長原 実さん

☆長原 西ドイツの工場では、高度な設備で、家具が大量に生産されていました。職人一人一人が請負う日本とは違い、品質も均一です。また、問屋は介在せず、各地のディーラーが営業の窓口となり、製品も工場から直接エンドユーザーに届けられていました。製造から流通に至るまで、コストや時間の無駄を省いた精度の高いシステムが実践されていたんです。

 さらに衝撃だったのは、デンマークの家具工場で、日本から安価で輸入した北海道のミズナラを加工し、高級家具として世界中に輸出していたことです。良質な素材に恵まれながら、付加価値を付けるすべのない日本、北海道の家具づくりの現状を思い知り、この時の屈辱感が、その後のバネになりましたね。一方、丁寧で正確な日本人(私)の仕事ぶりは工場内でも際立ち、渡欧により日本の手工業の良さも再認識しました。

 帰国し2年後に、西欧の優れた経営や生産管理システムと日本の職人技を掛け合わせ、道産の材料を使った美しい家具づくりを志向し起業。北海道のナラ材と牛革を使い、北欧の感性を取り入れたデザインで、創業第1号の椅子「ロカール(「地方」の意)」を製造しました。ものづくりを通し、地元・北海道を豊かにしたいという思いを込めた名称でした。

 当初、道内ではなかなか売れなくてね。ある方の助言もあり、思い切って東京の百貨店に売り込みに行ったんですよ。当時の日本人にとって、輸入家具は憧れの的。特に北欧の家具は人気でした。ただ高価で百貨店でも思うようには売れず、同様のテイストで価格を抑えられる国産なら、その潜在需要を掘り起こせると考えてくれたようです。

 取引が成立し1カ月ほどで、1脚、また1脚と売れ始めて。評判が伝わると、別の百貨店との取引も次々に決まり、売り上げが伸びていったんです。

 苦渋もなめました。アメリカに現地法人を設立し、念願の海外進出を果たしたのはプラザ合意の前年。円高が急激に進み、その後バブルも崩壊し、売り上げは激減しました。振り返れば、あのピンチは、木の命を無駄にせず、お客さまに長く愛され、喜んでいただける高品質な「家財」を手掛けるという原点に立ち返る契機になりました。経営規模を身の丈に縮小する努力も重ね、何とか落ち着きを取り戻した97年に、社長を後任に引き継ぎました。

★「ものづくり大学」設立構想の進展にも、注目が集まっています。

長原 実さん

☆長原 東海大芸術工学部(旭川キャンパス)の閉鎖決定を無念に思い、旭川の優れた資源を活用し、地場産業の可能性を広げることを視野に、「創る」醍醐味(だいごみ)を継承する場を構想しました。世界各地にいる旧知のデザイナーや同志にも協力を請い、一流や本物に触れる教育の拠点を目指します。

 「創造」には、世の中の抵抗にあってもなお突き進む、強靭(きょうじん)な精神も必要です。縮小社会にこそ、質を問う「人づくり」が大切。心の強さと柔軟な感性で、自ら時代を創るクリエイティブな人間を育てていきたいですね。

 かつての私が、デザインと出会い夢を膨らませたあの時のように、未来を担う人たちに、生きる力となる希望の星を見出す機会を、創ってあげたいと思うんですよ。

取材を終えて

常に前見て進む力強さ

 デザインに国境はないという長原さん。創業当初から、外部や海外のデザイナーとのコラボレーションも積極的に図り、世界に通用する製品開発に努めてきたそうです。創造は尽きず、まだまだ前に進みたいと話す長原さんの力強さに、心沸き立つインタビューでした。


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