時間は前後するが、山元町に入る前、仙台市から車を走らせ、亘理町の荒浜地区に立ち寄った。
荒浜地区も大きな津波が押し寄せた場所だ。当時、テレビで被災した荒浜中の映像が映し出されていたが、荒浜地区に入って驚いた。そこには宮城県内では初の現地建て替えとなった立派な荒浜中があった。しかし、驚いたのは学校が新しくなっていたことではない。海はかなり遠いように見えるのに、「こんなところまで津波が押し寄せてきたのか」と、その事実に呆然とした。
その後、漁協と物産スペースが一体となった「鳥の海ふれあい市場」に車を停め、そこから1kmほどの海岸まで歩いた。
あたりではかさ上げ工事が盛んに行われ、海岸では防潮堤が整備されている。海岸を目指して何台も車が通り過ぎた。「震災の記憶をたどろうとしている人たちがいるのか」と思っていると、どうやら違うようだ。防潮堤へ着くと彼らの目的が分かった。それはサーフィンだった。
この静かな海岸ではもともとサーフィンが盛んなそうで、この日は平日にもかかわらず10人ほどのサーファーがいた。11月にしては珍しく20度を超える暖かさ。目に見える範囲にはたくさんの重機や盛られた土、波消しブロックなど、〝いかつい〟ものしか見えないのに、それは全て無声映画のように静かに動き、まるで時間が止まったように感じる。
防潮堤に立っていても不思議な心地がする。この防潮堤は北に南に、どこまでも続く。この静かな海に本当に津波が来たのだろうか。
4年半前、荒涼とした中にあっても、その時間は過ぎる。またこの海でサーフィンがしたいという人の心の優しさに触れたような気がした。
(2015年11月21日掲載)