震災発生から1年を経過した宮城県山元町には何もなかった。そこにあったはずの家や道路、線路が跡形もなく消えていた。札幌市から2年間派遣された建設局道路維持課の高久政行課長は「ほこりっぽく、柱だけが残された家もたくさんあった。『こんな壊れ方を…』と衝撃を受けた」と振り返る。
札幌市は震災発生直後から全国市長会の要請を受け、山元町に多くの事務・技術職員を派遣した。震災直後から職員の短期派遣を続け、年単位で技術職員の派遣を始めたのは、発生から1年が経過した2012年度から。町には、まちづくりや都市計画決定にノウハウを持つ自治体職員の力が必要だった。
札幌市職員に課せられた使命は、町が新たに整備する2つの市街地の都市計画決定や事業認可、各種事業をするための復興交付金などの獲得だ。町は新たなまちづくり計画として、コンパクトシティーの形成を掲げ、山下地区と坂元地区の2つの市街地を造ることを決めた。
人口約1万人の町。震災の発生で人口流出は止まらず、内陸部への移転も進まない中で、町民の怒りは自然と〝よそ者〟に向けられた。高久さんは派遣後間もない事業計画の説明会で「よそ者が!山元のことも、まちのことも分からないくせに」と言われたこともあった。
しかし、小さな町ならではの良さもあった。政策決定の早さだ。町長とすぐに打ち合わせができ、町民もプロパー職員と顔見知り。それに札幌市職員のノウハウが加わり、まちの方向性は被災地の中でもいち早く決まった。
まちの復興を後押ししたのが、設計施工を一括で発注するCM方式の導入だ。これにより復興は見る見る間に進み、着工から3年半となる16年末には新たな市街地が完成する。
現在、札幌市から派遣されている桜井英文事業計画調整室長。ハード面での復興が目に見えて進んでいるが、「町の持続可能性をどう確保するかが今後の大きな課題」と指摘する。
全国から多くの派遣職員が投入され、短期間で膨大に整備された施設の維持・メンテナンスを担うのは残されたプロパー職員たちだ。これまでは何でも〝よそ者〟のせいにできたことを直視する必要がある。
流出した人口を取り戻すことも大きな課題だ。魅力あるまちづくりのためには、地域住民を巻き込んだ取り組みが欠かせないという。
桜井さんは「先進自治体の持つノウハウと多くの経験を役場職員に伝承する、人材育成の取り組みが必要」と説く。こうした思いは札幌市も同じで、16年度も長期派遣を継続する。
(2016年3月8日掲載)