北海道の豊かな自然や歴史、文化、産業などを次の世代に引き継ぎたい思いから生まれた北海道遺産。2001年の第1回選定25件の中に上士幌町の旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群がある。その姿から感じる歴史の重さと大雪山国立公園の自然と調和した景観は観光客からも人気だ。しかし建設から約80年が経過し橋の老朽化が深刻になっている。自然と調和しながら十勝の産業の歴史を雄弁に伝える橋たちを守ろうと地元住民らによる保存活動が動きつつある。(帯広支社・太田 優駿記者)
旧士幌線は1926年に開通。馬そりに代わって木材や農産物を輸送し地域の産業発展に大きく貢献した。60年代から周辺道路の整備が進み、トラック輸送やバス移動が浸透した結果、87年に全線廃止となった。
■コンクリートアーチ劣化進む
橋梁群は36―39年にかけて大小36橋が建設され、うち32橋が現存している。コンクリートアーチ橋が採用されたのは砂利などの資材を現地調達して工事費を抑えるだけでなく、設計者である鉄道省北海道建設事務所が山林や渓谷といった自然豊かな周辺環境との調和を考えてのものだった。
工事は天塩線や羽幌線も請け負った栗原組(秋田)が受注し、橋梁は下請けの丹野組(旭川)が施工した。
橋梁群の中でも大規模な第三音更川橋梁は36年7月に着工。人力で岩盤をならして木材で足場を組んだ。アーチ径間は他の橋梁群が10mに対し、同橋は橋脚を建てる川底の状態や増水時の水量を考えて32mとなった。
工事は現場の対応力が光った。型枠と支保工が川に流されないよう部材の組み方を工夫したり、コンクリートを橋上まで運ぶ巻き上げ機や現場資材を組み合わせた砂利洗浄用の機械を開発し作業効率は格段に上がった。
全長71mの橋は同年11月にわずか5カ月の工期で完成した。当時、鉄道用の大規模なコンクリートアーチ橋はまだなく、第三音更川橋梁が全国に先駆けた建設モデルとなった。
橋梁群は97年に国鉄清算事業団が解体計画を示したのに対し、地元有志が署名や現地見学会などの活動を展開した。町や研究者と一緒に保存の道を模索し、98年に上士幌町が34橋と線路跡を買い取ったことで解体の危機を逃れた。01年に北海道遺産に認定。トンネルなどを含めた旧国鉄士幌線関連では9件の構造物が国の登録有形文化財に登録された。しかし建設から約80年が経過し、近年はコンクリートの剥離や鉄筋の露出が目立ち始めている。
■官民連携で保存活動
橋梁群の保全や情報発信などに取り組むNPO法人ひがし大雪アーチ橋友の会は、09年から9000万円を目標に橋梁補修費の募金を開始。ふるさと納税が好調な上士幌町も寄付金の一部を積み立て、募金額は17年までに1億円を超えた。
同会の角田久和事務局長は多額の募金に感謝し「18年度から町が主体となって補修と長寿命化に向けた取り組みを始める」と話す。設計は18年度、工事は19年度から取り掛かり、内容は橋上部の砂利や土砂の撤去、コンクリートの劣化防止対策などを予定している。
補修に先立ち16年には北海道イオングループが行う電子マネー利用金額の一部が北海道遺産の保全に充てられる「ほっかいどう遺産WAON」寄付金の助成活動で第三音更川橋梁の緊急補修を実施。50万円をかけて橋の表面にモルタルを塗布し、補修方法としての適性を検証している。
同会では旧士幌線の鉄路再現にも取り組んでいる、跡地に往復約1・3㌔の線路を敷き、駅名標や鉄道信号機なども設置した。現在は自然豊かな森の中を観光用トロッコが走る。募金の一部はこうした線路の敷設にも使われる予定だ。
市民を中心に官民が連携したこれら一連の保存活動は市民活動のモデルとしても全国から注目を浴びている。