16年の連続台風被害を教訓に
■防災へ気候変動予測 上流では佐幌ダム再開発計画
流域面積9010平方㌔で道内2位の広さを誇る十勝川。十勝の由来がアイヌ語のトカプウシイ(乳房のある所)であるという一説があるほど、乳が出るがごとく流れは絶えず、十勝管内の隅々まで行き渡っている。かつては交通、現在も観光や漁業などで人々の暮らしに密接に関わるこの川は、2016年8月の連続台風の際に凶暴な一面を見せた。
支流の札内川ダム観測所での30日から31日にかけての総雨量は507㍉となり、直轄区間の12カ所の水位観測所で既往最高水位を記録。音更川では堤防が決壊、札内川は氾濫で約50haが浸水。上流域の清水町、芽室町、新得町で家屋の全半壊や橋梁被害、浸水など甚大な被害を受けた。
水害から2年が経過して復旧のめどが立った今、今後の防災に向けた動きが見え始めている。北海道開発局と道は「北海道地方における気候変動予測技術検討委員会」を設置。17年度に十勝川と常呂川両水系をモデルにd4PDF(地球温暖化対策に資するアンサンブル気候予測データベース)に基づいた降雨量変化、流域被害リスク算定を実施。d4PDFとは平均気温が4度上昇する想定で90通りの大気変動をシミュレーションしたもの。両流域で計画規模降雨量が1・4倍、流量が1・5―1・7倍となり、人や家屋への被害も大幅に増加する懸念が示された。
この予測は技術的には他の河川にも応用が可能なため、国土交通省が進めている地球温暖化による気候変動を踏まえた治水計画の見直しに生かされる可能性がある。
一方で道建設部は、上流の佐幌ダムの再開発を予定。十勝川水系の佐幌川は一昨年の洪水の際に家屋や農地の浸水、JR橋の落橋などを引き起こした。その上流にある同ダムは1984年に完成した治水専用の重力式コンクリートダム。堤高を2・9mかさ上げした49・5mとし、総貯水容量は1200万m³に増やす。事業費は130億円を試算し、19年度の事業着手を目指している。この事業により新得町市街地などで家屋828戸や687haの浸水を防止できると見込む。
16年の水害は十勝管内の人命や財産に大きな被害を与えた。これを教訓に同じ悲劇を繰り返さないよう防災の取り組みを強めなくてはならない。
民族の垣根超え自然と共生
■アイヌに学び文化継承 市民協働会議が儀式開催へ協力
1883(明治16)年、依田勉三らが率いる晩成社が集団でオベリベリ(帯広市)に移住し、林を切り開いて農場造りを始める。現地のアイヌの人々は警戒心を強めたが、依田らはむしろ共に農業を興し生活を豊かにしたいという思いがあり、親睦を図ろうとした。両者の間に完全に警戒が払拭(ふっしょく)されたわけではないが、共生していた記録が残っている。
当時の交通路は川が中心。移住者たちはアイヌの人が操るチプ(丸木舟)で河口の大津まで行き来した。この他にも道案内や家、食べ物など開拓者たちが暮らしを始めるのに必要なものや情報を提供してくれた。98(明治31)年の大洪水の時には逃げ遅れて家屋の屋上に追い詰められた和人たちを救助したこともあった。
しかし一方で晩成社が移住した83年には、札幌県は乱獲を防ぐため十勝川を遡上(そじょう)したサケの漁を禁止。アイヌの人々は飢えに苦しんだ。その後、晩成社の訴えもあり一時的に禁漁を緩めたが、基本的にアイヌ文化の大きな柱だった川でのサケ漁ができなくなってしまった。
それから130年余りがたった2018年、地元住民を中心にした十勝川中流部市民協働会議は、これまでの河岸の草地再生や防災訓練支援などの活動に加え、アイヌ文化の継承にも取り組もうとしている。9月9日に十勝エコロジーパーク内で行う儀式「アシリチェプノミ」に協力する。遡上するサケを捕獲しカムイ(神)に感謝の祈りをささげるもので、十勝管内のアイヌ協会や十勝川温泉観光協会などで構成する実行委員会により執り行われる。
同会議事務局の和田哲也さんは、以前はアイヌの人々に対し「自分は差別していた側だ」と壁をつくっていたが、実際にはごく普通に接することができたという。「だったら仲良くしようと。お互いいいところを勉強し合って仲良くしていけば次のステージがある」と話す。「魚を捕り過ぎない」「川を汚さない」などアイヌが現在までに継いできた自然の哲学を学ぶことで、持続可能な川づくりに生かす考えだ。自然との共生という目標の下、十勝川を舞台に民族の垣根を超えて共に手を取り合おうとしている。
(帯広支社 大坂力記者)