情報と環境の世紀への挑戦を期待
今年は明治維新150周年であると同時に、北海道命名150年という近代日本の節目の年である。明治維新に関係のある薩摩、長州、肥前、土佐などでは記念事業が開催され、北海道でも数多くの行事が進行している。しかしこの節目は単純に祝賀すればいいという状況ではなく、150年来維持してきた社会が巨大な転換を要求されていることを確認すべき節目である。
150年前、明治政府は「殖産興業」の旗印により産業の中心を農業から工業に、「廃藩置県」の制度により諸藩の分割統治から政府派遣の官選知事が直轄統治する道府県制に、「学制発布」により藩校や寺子屋が地域独自の教育をしていた体制を文部省の一律の教育制度に、「文明開化」の掛け声で地域特有の文化を西欧の文明を上位とする思想や風習に変更してきた。
これら180度ともいえる巨大な転換政策により、地域が独自の産物、言語、風習を維持してきた多様な日本は次第に均質な地域の集合に転換してきた。さらに全国に人口や経済が分散していた日本は150年かけて東京に一極集中してきた。1880年の東京の人口は全国の3%でしかなかったが、現在は11%になり、
県民所得では16%、財政歳出では14%が集中している。
この軌跡は明治以後の北海道の変化に重複する部分が多々ある。先住民族アイヌの人々が各地に分散して生活していた地域に全国各地から多様な文化、言語、習慣を同伴した人々が移住してきたが、それら多様な状態は150年の歳月で希薄となり、道都札幌の人口は1890年代には全道の11%であったが、現在では36%に肥大している。日本全体とうり二つの変化である。
この状態で今後の社会が維持できれば問題はないが、江戸末期の西欧の文明の怒濤(どとう)の流入に匹敵する数百年間に一度という激変が襲来しており、それに対応することが日本全体にも地域にも要求される時代になっている。数多くの激変のなかでも、150年前には存在しなかった情報社会への転換と環境意識の転換に北海道がどのように対応すべきかを検討する。
情報社会の破壊的力を象徴する数字がある。1990年代に世界の時価総額上位は製造企業、エネルギー企業、金融機関が独占していたが、現在、それらの企業は上位から駆逐され、上位はグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなど新興の情報企業である。日本も出遅れているが、とりわけ北海道は高速通信基盤の普及は全国の中位、目立った情報サービスも存在しない。
しかし、北海道と規模や位置が類似するスウェーデン、フィンランドなどは情報国力調査で一桁の上位である。その背景は多様を許容する社会の構造の存在である。情報の価値の基本は相違にあるから、情報社会は全体として多様になるが、北海道は過去150年で多様を喪失したとはいえ、多様に寛容な社会である。多様社会の先端を目指すことが第一の戦略である。
第二は環境問題への対応である。地球規模の環境問題は国家が解決できる課題ではなく、一人一人の意識、地域社会の努力などの累積でしか解決できない。北海道は過去100年で湿原面積を6割も減少させるなど自然環境を改造してきた地域である。筆者はカヌーとスキーで道内各地を体験しているが、それでも日本では最大に自然環境が残存している地域である。
さらに釧路川中流域で直線にした河川を以前の蛇行した状態に復元する活動、サロベツ原野を干拓して農地にした湿地を再度、湿原に復元する活動など自然回復事業では先端の地域である。これは世界各地で進行している活動であるが、過去に回帰する活動ではなく、自然を収奪する工業社会が傷付けてきた自然環境を修復する次代への転換を象徴する事業である。
人工の極致の情報と自然の極致の環境は対立する事象のようであるが、相互に密接に関係する。人間が自然環境全体を理解するためには人工衛星など情報技術を必要とする一方、通信は移動に比較すれば微々たる環境負荷で社会を維持できるように、環境問題を解決する最大の手段である。北海道が情報と環境の21世紀への転換の先頭を進行することを期待する。