北海道150年を支えた偉人

月尾嘉男 北海道150年を支えた偉人⑤ 前田一族

2018年10月19日 17時00分

 阿寒国立公園を創設 自然再生も

 世界最初の国立公園は1872年にアメリカで指定されたイエローストーン国立公園であるが、日本は60年近く出遅れ、1931年に自然公園法が施行され、1934年に最初の8カ所が指定された。そのうち大雪山国立公園と阿寒国立公園(当時)の2カ所が北海道にある。

 この阿寒国立公園は9万haの面積であるが、その中核となる3800haは、ある一族の私有地であった。その一族の中心が前田正名である。正名は1850年に貧乏な薩摩藩医前田善安の六男として誕生、学業優秀であったため、16歳のとき藩費により長崎で勉強する機会があった。

 1866年に坂本龍馬に面会して西洋の事情を教示され、その影響で海外への留学を目指し、資金獲得のため1869年に『和訳英辞書』(通称『薩摩辞書』)という英和辞書を刊行する。当時の日本には活版印刷の技術がなく、藩費により上海で印刷した約700㌻もある本格辞書である。

 この辞書の版権は政府に買い上げられ、その資金と官費で正名はフランスへ留学し、約7年間、滞在して1877年に帰国する。その翌年に開催されるパリ万国博覧会に出展することを郷里の先輩の内務卿大久保利通に進言したところ、出展準備を一任され、博覧会事務官長として博覧会を成功させる。

 帰国して農商務省に勤務するが、1880年代に通称「松方デフレ」が発生、その対策として殖産興業を推進する『興業意見』を発表し、その融資のための日本興業銀行も提案する。その後、農商務省の高官になるが、陸奥宗光大臣と意見が対立したため辞任し、全国を行脚して殖産興業と自然保護にまい進した。

1869年に刊行した前田正名氏の功績をたたえる「薩摩辞書之碑」(鹿児島県特産品協会提供)。阿寒湖畔の自然環境を守る先駆的な活動をした。上から正名氏、正次氏、光子氏(前田一歩園財団提供)

 正名は武士の出自らしい有言実行の人物で、宮崎では新田開発を実施、釧路では前田製紙合名会社や釧路銀行を創設、阿寒湖畔には3800haの土地を取得して「阿寒前田一歩園」と命名、初代園主として移住してきた。この名称は座右の言葉「万事に一歩が大切」に由来するものである。

 この土地は牧場にする目的で入手したが、風景が留学時代に見聞したスイスに匹敵すると感動し、観光地にする決断をする。正名は「前田一族の財産はすべて公共事業の財産となす」を家訓としていたので、1921年の正名の死後、後継の次男の正次などが土地を提供して阿寒国立公園を実現させた。

 この国立公園の発展に活躍したのが正次の夫人の光子である。宝塚少女歌劇団のスターであった光子は正次と結婚して阿寒湖畔に移住、正次を補佐して一帯の環境保全に尽力する。とりわけ牧場にする目的で伐採されていた1000ha以上の森林を植林により復元したのは光子の功績である。

 阿寒湖畔にはアイヌの人々の土産物店が集合する阿寒アイヌコタンがあるが、これは光子が土地を無償で提供し、各地のアイヌの人々が生計を維持できるようにした場所である。これらの功績により、光子は「ハポ(やさしい母親)」と尊敬され、1983年に逝去したときは阿寒町葬が挙行された。

 阿寒湖畔の前田一歩園内を散策すると、そこが植林された場所とは気付かない。自然は再生できるという証拠である。現在、世界各地で、破壊した自然環境を以前の環境に復元する活動が活発であるが、その先駆として、また、開発一筋ではない経済活動をしてきた人々の先駆として眺望すると感動する。


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