「釧路分監は町の文化財」
明治時代、道内には樺戸を皮切りに空知と釧路、網走、十勝に集治監が建てられた。政府が士族蜂起による懲役囚の急増に苦慮していたためだ。囚人は鉱山の開発や道路の開削、橋梁工事などの外役に従事し、道路や鉄道をはじめ、未開拓地の多かった北海道の開拓に大きく関わった。
囚人らは空知と樺戸では現在の国道12号の建設、釧路ではアトサヌプリでの硫黄採掘などに当たった。標茶町にある釧路分監は、1886年に建てられた。集治監、軍馬補充部、高校、郷土館と役割を変え、現在は町の文化財となっている。