過疎地に眠る文化財 旧斉藤牧場事務所を守れ(上)

2018年12月27日 12時00分

 十勝畜産業の重要な史跡

 浦幌町厚内にぽつんとたたずむ旧斉藤牧場事務所。JR根室本線を走る列車からも見える位置にあるが、国内でも2軒しか残っていない明治時代の牧場事務所であることはあまり知られていない。そんな過疎地に眠る近代化遺産は文化財としての保護を受けず老朽化が進行し、いつ倒壊してもおかしくない状況にある。喪失への危機感から保全に向けた動きが始まろうとしている。(帯広支社・大坂 力記者)

 旧斉藤牧場事務所は、浦幌町厚内に初代斉藤兵太郎氏によって建てられた牧場事務所兼住宅。正確な建設年は判明していないが、斉藤氏が牧場を開設した1903(明治36)年ごろの建設と考えられている。

 85、86年に発行された浦幌町郷土博物館報告によると、規模はW造、平屋一部2階、延べ285m²。2階部分は事務所、平屋部分は居住空間として使われていたと思われる。2階部分の外観を見ると正面側にベランダがある一方、左側には縁側がある。建物内部も1階玄関の左右に洋室を配置しているが、その奥と2階には和室があるように、和洋折衷となっているのが特徴だ。

浦幌町厚内にある旧斉藤牧場事務所

 そもそも国内で明治時代の牧場事務所として現存するのは、札幌市内にあるエドウィン・ダン記念館と同事務所の2軒のみ。浦幌町立博物館の持田誠学芸員はこうした歴史的観点から「町の文化財であるとともに日本の文化財として非常に重要性の高い建物だ」と指摘している。

■老朽化進行し存続危ぶまれる

 斉藤氏は1856(安政3)年に松前郡福山町唐津内澤町で生まれた。幼少から松前公の小姓として仕えていたが、明治維新後に函館の田畑商店に勤務。その後、広業商会に移り、80(明治13)年に広尾出張所主任として赴任した。出張所廃止後も広尾にとどまり、サケ漁や昆布採取業に従事。86(明治19)年に大津に転任してサケ漁業で財を成した。87(明治20)年には十勝産馬改良組合を結成し洋種馬を用いた品種改良に取り組み始めた。組合は数年後に解散したものの、自らも牧畜を営むため、1903年に厚内に牧場を開設。持田学芸員は「斉藤氏は、晩成社と共に道から洋種の輸入馬の払い下げを受けて十勝で最初期に産馬改良を始めた一人。この場所自体が十勝の畜産業にとって重要な意味を持つ史跡と言える」と解説する。

 ただ、建物自体はこれまで文化財などの指定や登録はされず、今は空き家の状態。老朽化が進み、存続が危ぶまれている。


ヘッドライン

ヘッドライン一覧 全て読むRSS

e-kensinプラス入会のご案内
  • オノデラ
  • 古垣建設
  • 川崎建設

お知らせ

閲覧数ランキング(直近1ヶ月)

おとなの養生訓 第245回 「乳糖不耐症」 原因を...
2023年01月11日 (1,397)
函館―青森間、車で2時間半 津軽海峡トンネル構想
2021年01月13日 (1,309)
おとなの養生訓 第43回「食事と入浴」 「風呂」が...
2014年04月11日 (1,305)
藻岩高敷地に新設校 27年春開校へ
2022年02月21日 (1,115)
アルファコート、北見駅前にホテル新築 「JRイン」...
2024年04月16日 (1,054)

連載・特集

英語ページスタート

construct-hokkaido

連載 おとなの養生訓

おとなの養生訓
第258回「体温上昇と発熱」。病気による発熱と熱中症のうつ熱の見分けは困難。医師の判断を仰ぎましょう。

連載 本間純子
いつもの暮らし便

本間純子 いつもの暮らし便
第34回「1日2470個のご飯粒」。食品ロスについて考えてみましょう。

連載 行政書士
池田玲菜の見た世界

行政書士池田玲菜の見た世界
第32回「読解力と認知特性」。特性に合った方法で伝えれば、コミュニケーション環境が飛躍的に向上するかもしれません。