地下鉄建設に伴って生まれた、もう一つの地下街が「札幌駅地下商店街(札幌駅名店街)」だ。南北線の工事では札幌駅の改良も行われたため、駅に入るステーションデパートの店舗の一部に立ち退きが生じた。その転居先となった同商店街は、ターミナル機能の拡大という役割も担うことになる。1972年2月の冬季五輪には間に合わなかったが、1期工事完了分は同年3月25日に開業している。
■ステーションデパートが母体
札幌駅地下商店街を紹介する前に、母体となったステーションデパートの経緯に触れておく。本紙に関連する記事が見当たらなかったため、「ステーションデパート30年の歩み」(1982年10月発行、同デパート30周年記念実行委員会)の記述を参考にする。
ステーションデパートは組合員73人の事業協同組合として1952年3月に設立。同年12月26日、同月15日に開業したばかりの4代目札幌駅の地下に開店した。
「繁栄の一途をだどってきた」同デパートは、わずか3年で売場が狭くなる。「店内通路は一方交通のようになり、奥まった売場は客が通行にも不便な状態。このままでは売上に影響するというところまで追い込まれた」。そこで組合は56年11月に売場拡張計画案を国鉄に申請。57年8月に認可となり、北海道博覧会の開催と合わせるように58年7月に開店。その後、64年2月には駅北口の開設とともに「北口ステーションストア」が営業を始めている。
■地下鉄工事がきっかけに
2年後の66年4月、札幌への冬季五輪の招致が決まった。五輪開催を追い風に都市の近代化を推し進める市は、交通網の整備を急ぐ。その中で「緊急整備区間」として登場したのが、地下鉄(高速軌道)南北線だ。
西4丁目通の地下を貫く南北線は、札幌駅の下を通過するため、工事の際、駅の改築が伴う。「―30年の歩み」には「4700平方メートルの売場面積のうち、約1300平方メートルの食堂街が滅失、メインの売場の約1割、420平方メートルが2年間営業不能となる」とある。
国鉄は、デパート側に貸し付けている施設の返還・撤去を要求。併せて、休業期間の営業補てん、滅失スペースの確保などの課題を打開する施策として打ち出したのが、駅西側広場下を対象とした新たな地下街の構想だ。
「―30年の歩み」は「札幌駅前広場の有効活用と、ターミナル機能の拡大による国鉄利用客の増加をはかる目的のほか、地下鉄関連工事で支障するステーションデパートの営業者を入居させるもの」と伝える。
■事業主体に6者が出資
札幌駅地下商店街が本紙に初めて登場したのが、1970年10月26日付。地下街の事業主体となる「札幌ステーションビル株式会社(後の「札幌駅地下ビル株式会社」)の設立総会を、同年11月18日に開くことが決まったという内容だ。同社には、鉄道弘済会、鉄道会館、日本食堂、みかど、伊藤組土建、ステーションデパート協同組合の6者が出資している。
工事の規模は地下2階、延べ8500㎡。工事費は15億5000万円を見込む。「地下一階に公共通路、店舗、食堂など、地下二階には公共駐車場、機械室、映画館などがつくられる計画である。また地下鉄通路とこのほど着工された札幌住友生命ビルとを地下通路で連絡されることになつている」と記している。
ちなみに札幌住友生命ビルとは、センチュリーロイヤルホテルなどが入るテナントビルの「住友生命札幌ビル」(北5条西5丁目)。地下3階地上23階の建物は当時「東北以北一番の高層ビル」(71年9月1日付)として建設が進められていた。
■本体と土木は伊藤組土建に特命
設立総会の様子を掲載した1970年11月19日付は「今月末には本体および土木を伊藤組土建に特命する」と伝える。出店する店舗数などにも触れ、「このシヨツピングセンターには、本道特産品売り場、みやげ物店、一般商店など五、六十店がはいり、現在のステーシヨンデパートと並んで一大地下商店街となる。地下歩道は、幅六㍍商店街を囲むように長さ三二〇㍍を建設し、地上への出口は駅側に三カ所、北五条通りと西五丁目通りに三カ所、地下鉄側に一カ所建設する」とある。
予定よりも完成が遅れ、72年2月開催の冬季五輪には間に合わなかったものの、3月25日に開店。ステーションデパート協同組合が同年10月に発行した「二十年の歩み」によると、「開店当日は地下鉄と札幌駅から送りこまれてくる来店者を捌ききれず、一時入店制限をする騒ぎまでひき起こした」と振り返る。
■1年間に3カ所が着工
五輪開催に合わせて整備された「ポールタウン」「オーロラタウン」「札幌駅地下商店街」の3つの地下街。70年12月25日付には「夢の地下街建設はじまる」との見出しで、大通西1丁目―西3丁目地下に当たるオーロラタウンの工事写真を掲載した記事が載る。写真は鮮明ではないが、大通公園を開削して行われたダイナミックな都市改造の様子が分かる。
開業は五輪開催と前後するものの、「一年間に三カ所が同時着工されたのは全国的にもめずらしく近代都市札幌の面目躍如といつたところだ」と記事を締めくくっている。
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