車が通りを走るたび、舞い上がる砂煙で辺りが薄茶色ににじむ。舗装道路がない色丹島[MAP↗]
では、晴れが続くと砂ぼこり、雨が続くとぬかるみが、集落の景色の一部となる。
島は面積248㎢と小樽市ほどの広さ。住民は3000人弱という。住居があるのは日本名「斜古丹(しゃこたん)」「穴澗(あなま)」の2地区で、どちらも古びた木造家屋が並ぶ。海岸部では、赤銅色にさびた廃船があちこちで放置されていた。
都市化が進んでいない分、豊かな自然に恵まれている。島の大部分は緑に覆われたなだらかな丘陵地。集落のそばでは放牧された牛が寝そべったり歩いたりしている。静寂の中、ゆったりとした空気が流れていた。
「見せたい絶景ポイントがたくさんある」「最近は欧米からも旅行者が来るようになった」。現島民のロシア人から誇らしげな発言が相次ぐ。5月25日、島内の文化会館で開かれた、訪問団と現島民の意見交換会だ。ビザなし交流は住民間の親善を基本とする。帰属問題には触れず、主催者の決めたテーマで友好的に話し合う。
今回は「観光」がテーマだった。全団員と現島民30人前後が混ざり、4グループに分かれて約1時間半懇談。最後に、島は観光資源が豊富な半面、ホテルや公共トイレなどインフラが未整備といったまとめが報告された。
ビザなし訪問はこのほか学校や工場などの視察、家庭訪問、日本人墓地へのお参りなどで構成する。以前は一部に自由行動もあったようだが、今はロシア側が承諾した日程での完全な集団行動だ。領土返還という大目標への貢献度については常に議論があるものの、島の現状を知る機会として貴重なのも事実だ。
島々のうち住民がいるのは択捉、国後、色丹の3島。この中で色丹は極端に開発の遅れた島といわれてきたが、今回、随所で変化を目にした。
例えば食品や日用品。訪問団は滞在中、小型スーパーマーケット計4カ所に立ち寄った。十数年ぶりに参加したという根室市の会社経営者は「商品が少なかった前回に比べ品ぞろえが格段に良くなった」と驚いた。
島では今春、インターネットの光回線が容量無制限で開通。スマートフォンやパソコンを扱う家電店もある。近くの丘の上に、軍関係者や国家公務員向けの新しいアパートが見える。2年前には大きな病院や、スポーツ施設もできた。
色丹の開発は、北方領土問題の中で特別な意味を持つ。色丹と歯舞群島が、1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結後に日本に引き渡すと明記された島だからだ。
プーチン現大統領を含めロシアの歴代元首も同宣言に基づいて交渉するとしている。メドベージェフ前大統領は日本側の反発を織り込んだ上で択捉、国後を訪ねた一方、色丹、歯舞は避けた。
旧ソ連やロシア政府が「日本に渡すかもしれない島の発展は無用」と考えたかどうかは不明だが、道路、住宅、公的施設といった開発が進むのは択捉、国後ばかりという時代が長く続いた。今、舗装道路がないのは色丹のみ。ただ、これも来年には舗装される見通しだ。
手付かずに近かった色丹島を本格開発し始めたロシア。日本側が手をこまねく間に、止まっていた時計の針は動き始めた。