14日から札幌で「バルセロナ展」
札幌芸術の森美術館で14日から開催される「奇蹟の芸術都市バルセロナ展」を心待ちにしている建築家がいる。札幌在住の木下泰男さん。ガウディやピカソ、ダリなどの作品と並び楽しみにしているのは、日本では無名な建築家「ジュゼップ・マリア・ジュジョール」の2題。ガウディの協力者として建築だけでなく、家具デザイン、絵画の分野で唯一無二の才能を発揮した人物だ。木下さんは20代で渡航し、出会った未完作品「モンフェリー教会堂」の実測調査からジュジョール研究を30年続けていて、「同展を通し、ジュジョールの世界を感じて」と話している。
ジュジョールは1879年、スペイン北東部のカタルーニャ地方・タラゴナ生まれ。26歳のときにカサ・バトリョの改修でファサード(建物の正面)を担当し、アントニ・ガウディの仕事に協力する。1906年にバルセロナ建築学校を卒業し、建築家のタイトルを取得。以後、カサ・ミラの内装を担当するなどガウディとの協働で多く活動する。
木下さんがジュジョール建築に出会ったのは20代のころ。大学卒業後から務めた札幌市内の設計会社を辞め、ガウディやミロなどの芸術家が生まれた地を見てみたい―と1989年にスペインへ渡る。古本屋で手に取ったテキストを手掛かりに、ジュジョール作品巡りが始まった。
「ガウディ建築を回ると、たびたびジュジョールの名前が出てきた。そうするうちにジュジョールについて、もっと知りたくなった」と当時を振り返る。
モンフェリー教会堂[MAP↗]の遺構を訪れたとき、実測への思いを強くした。住まいはバルセロナで、午前は語学学校に通い、午後はバスで片道4時間かけてタラゴナまで向かう。メジャーを使った実測調査は毎回1時間ほど。アパートに備え付けてあったクローゼットの扉を外して簡易製図に代用。1年余り、実測と作図の作業に没頭した。
スペインでの生活は2年間。当初は3年間の予定だったが、1992年のバルセロナ五輪景気で物価が高騰。資金面から帰国の途に就いた。
日本に帰ってからはデザイン専門学校の講師や大学の非常勤講師に就く傍ら、ジュジョール建築の研究を続ける。2002年の第6回札幌国際デザイン賞で「新しいライフデザイン」大賞を受賞。星槎道都大の非常勤講師で、北海道スペイン協会の副会長も務める。
「ガウディから独立後、ジュジョールは学んだ手法を決して模倣せず、もがき苦しみながら独自の表現手法を編み出していった」と紹介。「一見では古典回帰と見せ掛けながら、実はモダニズムを飛び越し〝ポストモダン〟に匹敵するような洞察力を持っていた。時代に早すぎた建築家といえる」と話す。
バルセロナ展にやってくるのは、記念噴水塔広場とマニャック店舗の2題。うちマニャック店舗は大胆に表現されたマーブル模様の天井や壁面内装、金物、家具。「奇想天外な表現とは対照的に、敬けんなカトリックとしての聖心を内包させている作品」だという。
記念噴水塔広場は1928年のバルセロナ万博で、会場ゲート前の市電乗車ロータリー広場内に設置された施設の設計作品。「モンフェリー教会堂、トーレ・デ・ラ・クレウ(ガウディ独立後の初作品)と合わせ、生命の建築3部作と捉えている」と話す。モンフェリー教会堂は母なる女性の体内を造形化し、トーレ・デ・ラ・クレウは男性をシュールに象徴、記念噴水塔広場には細胞分裂を表徴する生命の摂理が潜んでいると読み解く。
「ガウディの陰で魅力ある建築創作に取り組んだ無名の建築家・ジュジョールを、一人でも多くの人に知ってもらう機会になれば」と話している。会期は11月4日まで。
(北海道建設新聞2019年9月13日付3面より)