清水町が看板更新でPR 建物保存対策の必要性も指摘
近代日本経済の父といわれる渋沢栄一らが清水町熊牛地区などの開墾を目的に設立した十勝開墾合資会社が、1919(大正8)年に建てた厩舎(きゅうしゃ)が現役の牛舎として活躍している。同氏の功績を後世に伝える町の文化史跡で、当時の建築を知る上でも貴重だ。町は2020年度に文化史跡の看板を更新する計画で、建物に関しても「保存に向けた対策が必要」としている。
十勝開墾合資会社は1897(明治30)年に設立され、民間資本により現在の同町熊牛地区と人舞地区の原野4270haを開墾。農場では大豆、小豆などを生産し牧畜や水田にも取り組んだ。
初代農場長は町村金弥氏。事業により入植が進み、住民のために寺や小学校を建てる社会資本整備も進め、青淵山寿光寺や大勝神社が今も残る。
厩舎は清水町熊牛11にあり、W造、2階建て、幅5間半(10m)、長さ22間(40m)の大きさ。札幌農学校第2農場をモデルに設計したとされる。
床はコンクリート製で家畜のふんや飼料を搬出入するトロッコのレールが通り、屋根を支える長さ10mの梁も当時のまま。町内の渋谷農場が所有し、屋根など一部を改修して1階部分を牛舎、2階は乾草の保管場所に使っている。
同農場の渋谷正則代表は「当時、この辺りにコンクリート基礎の建物はなく、セメントを樽(たる)に入れて本州から船で運んだと伝え聞いている。数年かけて建てられたが、冬の寒さに耐えきれず大工が帰ってしまうため、とにかく人を集めるのが大変だったようだ。祖父が十勝開墾合資会社の従業員で、建物は(同社が)解散するときに譲り受けた」と話す。
19年、渋沢栄一が新一万円札の肖像画に採用されたことなどを受け、町は「渋沢栄一ゆかりの町」をPRする方針を固めた。今後、同氏の生誕地である埼玉県深谷市などと交流を活発化させる。功績の一つである十勝開墾合資会社の歩みを後世に伝える史跡として「個人が所有する建物だが、保存に向けた対策が必要」(町企画課)と話している。(帯広)
(北海道建設新聞2020年5月14日付11面より)