仕入れから塗装まで一連作業
フクイ製作所(本社・札幌)は、スーパーやコンビニなどで掲げる看板用に枠組み、支柱を作る鉄工会社だ。創業は1963年で、70年代後半には地崎工業(現・岩田地崎建設)による北海道神宮・表参道第二鳥居の改修を手伝った。札幌駅前の商業施設やビルの看板製作にも携わり、脇役の仕事ながら製作物の存在感は強い。
市内の看板屋に勤めていた福井二三男(ふさお)氏が独立し創業。66年に株式会社化した。智明社長は次男で、2003年から2代目を務める。
主に商業施設で掲げる屋外看板の枠組みや支柱を製作する。商社や販社から鋼材を仕入れ、大型切断機でカットしたり、ガス溶接しながら設計図通り組む。塗装まで一連で作業できるのが同社の強みだという。
大学生だった頃、父の仕事ぶりに憧れて後を継ぐことを決めた。当時は地崎工業からの仕事で、北海道神宮の表参道第二鳥居を改修していた。柱2本のほか、上部のかさ木と下部の島木に銅を巻き付け、薬品で磨くことで茶色く仕上げる作業。北海道の歴史的な建物に携わるフクイ製作所を誇らしく思った。
自身が社長になってからは札幌駅前のデパートや複合施設、家電量販店などの大型看板の枠組みを納める。中でも1995年ころは大型ショッピングセンターの出店ラッシュで、業績は右肩上がりだった。ピークの売上高は1億円超、従業員は10人ほどを抱えていた。
ここ数年は、共働きや高齢化の社会背景を象徴し、コンビニや斎場関連の仕事が目立つ。業務を効率化するため、中央区にあった本店の生産機能を発寒工場に集約。発寒工場は増築し、1000m²ある土地のうち半分を生産部門で使うよう再構築した。
「父の代から、取引先を1社に絞らないのが商売の鉄則だった」と智明社長。1社に偏ると、万が一のときに引っ張られて自社の経営も駄目になってしまう。
看板製作の依頼元と直接やりとりせず、仕事は広告代理店や同業の看板会社を通して受けるのも教えの一つだ。これもリスク分散からの考えだという。
「仕事上でエンドユーザーと会うことはない。街で目にする看板やサインポールは、うちのような鉄工会社があって、照明屋さんがネオン管を入れ、装飾会社がパネルを作り、とびが取り付けて完成する。いろいろな会社が関わっているのが看板業の特長」と智明社長は話す。
発寒工場に集約した時、中央区の旧本社に飾っていた額を大切に持ってきた。北海道神宮から78年に贈られた復興造営の感謝状と、改修中の写真が収められている。誇りある鉄工会社は、明日も地域の街並みを陰から支える。
(北海道建設新聞2020年7月14日付3面より)