民間受託にも力、安定経営図る
日進製作所(本社・札幌)は、橋梁・水門・クレーンを3本柱とする鋼構造物メーカーだ。従業員は約40人。今年で創業50周年を迎える。バブル崩壊のあおりを受けてクレーンの受注が落ち込んだ際は、保有する技術を応用して橋梁・水門の分野に参入して乗り切った。今まで納入した約2000台のクレーンは一度も事故を起こしたことがないという。近年は民間企業からの受託案件にも力を入れて安定経営を図りつつ、作業場の拡張など設備投資にも積極的だ。
同社は1971年、当時20代半ばだった平佐正義会長が大手メーカーの技術職を退職し、父親と共に日進機械製作所の社名で起業。農業機械部品などの製作や修理を手掛けていたという。
旺盛な工場立地を背景に、現在の同社を支えるクレーン事業の関連案件も扱い始めた。76年には天井クレーンの道労働基準局製造許可を得た。それから約15年間、民間向けのクレーン事業を主体とする経営を続ける。
当時から現在まで2種類のクレーンを扱い続けている。工場や発電所の天井に設けた2本の軌道に沿って移動する天井クレーンと、主として屋外に設けた軌道を橋脚形の本体が移動して荷を運ぶ橋形クレーンだ。
転機はバブル崩壊という形で訪れた。クレーン製造の案件がほとんどなくなり新事業を始める決断をしたのだ。目を付けたのは橋梁と水門だ。橋梁にはクレーンに必要な鋼桁製造の技術を、水門には巻き上げ機の技術を生かせるとの判断だった。倒産した橋梁メーカーの技術者らを採用したことも技術強化につながった。
橋梁や水門という公共インフラで一定規模の案件を受注するには、実績を積んだ上での資格取得が必須だ。歩道橋などの小規模案件をこなしつつ、他社との共同体でより大きな案件も受注するなどして実績を積んだ。「6、7年かけて軌道に乗った」(平佐会長)という。
社名を現在のものに変えたのもこの頃だ。同時期には札幌市や北海道開発局のポンプ場に天井クレーンを納入し、民間主体だったクレーン事業で公共案件に参入した。
製品の多角化と並行して生産性向上に向けた設備投資も進めてきた。99年に工場を増築、翌々年には銭函の土地を購入して製品組み立て場を設ける。
近年はクレーンのメンテナンスや加工・塗装の受託といった仕事にも力を入れる。蜂屋辰雄社長は「民間の受託案件も少しずつ売り上げが伸びている。安定させたい」と話す。
同社が自負するのは技術力の高さだ。例えばクレーンでは、他社よりも見積額は高めになるが40年以上にわたり一度も事故を起こしたことがないという。直近では札幌市発注による長さ300m超の北24条桜大橋で、橋桁の一部を製作・据え付け。余市川では後志総合振興局の発注で幅24mという大きさの水門を製作・据え付けた。
18年には銭函の組み立て場付近で土地を購入し、自社製造の30t橋形クレーンを設置。桜大橋の橋桁など大型構造物の組み立てを可能にした設備だ。小樽開建が所管する高規格道路の橋梁案件など、将来を見据えた設備投資に踏み切った。
同敷地ではいずれ1000m²超規模の塗装工場建設も検討したいと、平佐会長は話す。拠点ごとの製造プロセスを明確に分け、さらなる効率化を図りたい考えだ。
ここ数年で若い社員を5人以上採用するなど、技術継承を狙った人材の若返りも意識する。会社の将来について平佐会長は「高品質なインフラ構造物の供給を通じ、利益向上と社会貢献の実現を目指したい」と語った。
(北海道建設新聞2021年08月30日付3面より)