明治初期の本道開拓は、高い志を持ち、壮大な計画を一つ一つ実行してきたリーダーたちに支えられてきた。開拓使初代長官鍋島直正と2代長官東久世通禧の下で実務に当たった島義勇判官と岩村通俊判官が地ならしをし、3代長官黒田清隆が土台を築いたといったところか
▼島が道なき所に道を開き、岩村が札幌に開拓の拠点を置いた。その上で黒田が1871(明治4)年に打ち出したのが開拓使十年計画だった。本道が今こうして豊かでいられるのも、入植者一人一人の地道な働きがあったのはもちろんのこと、リーダーたちが本道の価値を認め、可能性を信じてまい進したおかげというわけだ。〈北海道日本ハムファイターズ〉も当初から歴代にわたり、素晴らしい監督に務めてもらえたのは幸いだった
▼本拠地を当地に移転したのが2004年。最初にトレイ・ヒルマン監督がプロ球団のなかった北の大地に野球を楽しむ文化の道筋を付け、引き継いだ梨田昌孝監督が地元ファンをしっかりと定着させた。それをさらに発展させ、〝北海道に日ハムあり〟と、押しも押されもせぬ存在に引き上げたのが12年に就任した栗山英樹監督である。1年目からいきなりリーグ優勝し、16年にはチームを日本一に導いた
▼そんな栗山監督が今季限りでの退任を決めたという。今や日ハムなしの本道は考えられない。10年の功績は大きかった。ありがとうと申し上げたい。来季は共に日ハムのスター選手だった新庄剛志氏が監督、稲葉篤紀氏がゼネラルマネージャーに就任する。今度はどんな歴史がつくられるのか。