えりも砂漠に緑を 100年かけて再生

 えりも岬沿岸に実在した砂漠の緑化を題材とした映画「仮称・北の流氷」の製作準備が進んでいる。浦河町出身の田中光敏監督がメガホンを取る。題材は町民らが中心となり1953年に始まったえりも砂漠の緑化事業。現在まで続くこの活動を探ると、世界的な潮流となっているSDGs(持続可能な開発目標)に息づく、持続的な活動の理念との結びつきが見えてきた。(苫小牧支社・小山龍記者)

えりも砂漠に緑を 100年かけて再生(上)明治に暖房のため大量伐採

2022年01月02日 12時00分

岬東部192haで草木消える

荒涼とした砂漠を馬で渡る人々(えりも治山事業所提供)

 えりも岬の砂漠化が始まったのは明治中・後期。移住してきた開拓者らが原生林を伐採し始めたのがきっかけだ。

 当時は、ミズナラやシラカバといった広葉樹が繁茂。しかし、平均気温が8・1度、平均風速が8・3m(ともに2020年度統計)と過酷な環境で、暖房などに大量の木が消費された。

 えりも岬地区在住でコンブ漁を営む飯田英雄さんは「木の背が低く、1本から採れる木材は多くなかった。そのため、比較的短期間で多くの木が切られたのでは」と話す。結果、昭和初期には岬東部沿岸の192㏊で草木が姿を消し砂漠化した。

 この一帯は、支笏火山の噴火で降った火山灰からなる赤土の地盤。砂の粒子が細かいため、風で舞うと海に溶け出しやすい。海水は濁り、水質が悪化。特産のコンブや魚介類の漁獲高が激減した。

 これに危機感を抱いた漁業者や地域住民は緑化を要望し、53年に林野庁が予算を措置。浦河営林署えりも治山事業所が置かれた。初代主任には、治山のノウハウを持つ米川正宣氏が着任した。

 それまでの岬は、将来的に生活が困難になることを見越し、集団移転の計画が出るほどだった。しかし、地元を存続させたいという切実な思いの町民らと米川主任が一体となり、〝百年の計〟とも言える取り組みが始まった。

(北海道建設新聞2021年10月28日付13面より)


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