8日午前11時ごろ、奈良市で演説中だった安倍晋三元首相が凶弾に倒れ命を落とした。わが国のトップとして長年にわたり各政策を展開した安倍氏。各方面からさまざまな評価があろう。ただ一つ、2008年のリーマンショック、民主党(当時)政権時に壊滅的な打撃を受けた本道建設業の立て直しに寄与した功績を、われわれは忘れてはならない。

本道の危機に寄り添った安倍元首相
08年9月のリーマンショックは本道経済にも漏れなく悪影響を与え、数年間の経済マイナス成長を余儀なくされた。元々縮小傾向にあった公共事業はさらに冷え込んだ。専門工事業者らは、生き残りのため高齢技能者を解雇せざるを得ない状況に陥った。
求心力を失った自民党は、野党第一党の民主党に大敗。09年、政権を委譲する。民主党が掲げた政策は「コンクリートから人へ」という民衆受けするキャッチフレーズ。
同年末に閣議決定した10年度北海道開発予算案は、ピーク時から半分の水準にまで下降。09年度予算と比べ国費ベースで道路は2割減、農業農村整備は半減するに至り、道内建設業者を震撼させた。リーマンショックで業績が悪化に向かった多くの建設関連企業は、さらに倒産の憂き目を避けきれなくなった。
本道建設業への冷遇を断行した民主政権は、発足当初から迷走を始める。尖閣諸島や沖縄県普天間基地の移設問題では外交力の脆弱(ぜいじゃく)さが露呈。東日本大震災時には政府内で指揮系統が乱れ、地域の復旧・復興に遅れが出たとの指摘もされた。
消費増税に関して内部分裂を起こした民主党はついに瓦解。自民党、公明党による連立政権が12年12月の衆院選で政権を奪還した。
安倍首相(当時)は日本経済再生のため、アベノミクスに着手。大幅な金融緩和を柱とする。公共事業に関しては、北海道開発予算規模が回復。13年度北海道開発事業費は、経済対策として巨大規模となった前年度補正と合わせ、事業費ベースで9107億円にまで上った。
その後、前年度補正予算と当初を合算して切れ目のない予算執行を実現する「15カ月予算」が定着。現在の防災・減災、国土強靱化対策の礎を築き、窮地に陥っていた道内建設業者を直接、間接的に救い出した。
18年9月に本道を襲った北海道胆振東部地震の際にも、いち早く被災地に駆け付けた。復旧・復興の全面的な支援を約束し、地域住民に寄り添った。
これら功績に加え、地方創生を叫び、デジタル化による社会再生の素地を築いた安倍元首相。その政策の流れを、われわれは引き継いでいかねばならない。