北海道新幹線の開業を、万感の思いで迎えた男たちがいた―。青函トンネル建設に携わった、日本鉄道建設公団青函建設局のOB会。メンバーの高齢化が進んだこともあり、開業後の3月29日にロワジールホテル函館で開いた祝賀会をもって解散した。「世界一の海底トンネルを掘って新幹線を走らせよう」という彼らの思いは半世紀を経てようやく実現しただけでなく、今後の札幌延伸をも強く後押ししている。
全長54㌔の青函トンネルは、1954年の海難事故をきっけに構想が具体化し、64年に着工。当初の建設期間は10年だったが海底下の掘削は困難を極め、24年後の88年に開通した。作業員は延べ1400万人に達したという。
「使命を果たせ、仲間と喜びを分かち合うことができてうれしい」。75年に吉岡作業坑での異常出水を体験するなど、数々の困難を乗り越えてきたOB会事務局長の佐々木幹夫さん(68歳)は、祝賀会でそう話した。
3交代の現場で交代長を経験した先山友康さん(72歳)は「軌道に乗るまでは10年かかった。その後10年は面白いように進んだ」と説明。新幹線開業については「時速200㌔以上で走らなくては。まだ中締めの段階」と今後に期待した。
「青函トンネルを掘るというパワーはすさまじかった」と話す函館出身の笹谷清勝さん(67歳)は、新幹線での里帰りを楽しみにしている。
先進導坑を掘る基地づくり、先進導坑の貫通、津軽海峡線開業という節目に携わった竹内洋司さん(66歳)は、「四十数年にわたる人脈が僕の全て」と目を潤ませ、福島町の青函トンネル記念館でガイドを務める花田順一さん(86歳)は「楽しかったし、充実していた」と当時を懐かしんだ。
最後の青函建設局長となった佐藤嘉晃さん(79歳)は「新幹線規格で造ったトンネルだったが、正直なところ本当に来るのかなという気持ちだった。開業を見ることができてうれしい」と満面の笑み。
鉄道・運輸機構の松橋貞雄理事は「先進導坑の貫通式は一番の思い出。その後、2005年からようやく新幹線工事が始まり、11年で開業に至った」とこれまでの歩みに思いをはせつつ、「引き続き函館までの高速化を図るとともに、札幌への延伸も確実に進める」と先を見据えていた。