日本語は難しい―。そう思う外国人は多いようだ。独特の表現体系を持つせいかもしれない。言葉に対人関係が織り込まれた会話表現「やりもらい」もその一つである
▼相手に何かを求めたり、自分が誰かに与えたりするとき、「やる(あげる)/くれる/もらう」の動詞を用いる形だ。話し手の立場で動詞がおのずから決まってくる。たとえば「私がもらう」「誰かがくれる」で、「私がくれる」とは通常言わない。日本語学者森田良行さんの『日本語をみがく小辞典』(角川文庫)に教えられた。「話し手の視点を通して述べてこそ日本語が日本語らしくなる」と森田さんは解説する。その言葉を使うだけで対人関係が見事に表現されるとは、日本語のなんと便利なことか
▼その伝でいくとこちらなども、相手との関係を的確に物語っていよう。最近、広島県内で「私はもらった」「僕ももらった」と、もらった事実を告白する人が相次いでいる件である。力関係の違いが話し手にその表現を使わせたのだろう。もらっていたのは県議や市議、首長など地元の有力者。くれたのは先に公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕された前法相の衆院議員河井克行容疑者と妻の参院議員案里容疑者である。わけもなくくれたはずはないし、何らかの思惑や圧力を感じずにもらった人もいまい
▼中にはもらっていたのに、もらっていないと堂々うそをついた人までいた。恥ずべき態度である。河井夫妻の今後の処遇は裁判次第。一方で受領した議員らは…。今後も引き続き支持をもらいたくとも、くれる人は少なかろう。