コラム「透視図」

あす5年目

2016年03月10日 09時16分

 ▼タクシーの運転手たちが体験した幽霊―。またよくあるオカルト話と思われたかもしれないが、違う。東北学院大学の金菱清ゼミがまとめた論文集『呼び覚まされる霊性の震災学』で、学生の工藤優花さんが担当した1章である。東日本大震災の被災地で見られた幽霊との交流事例を丹念に調査したものだ。運転手たちは皆、当たり前のこととして受け入れていたそう。「あんなことがあったのだから」と。

 ▼こんな事例があったそうだ。夏のこと、季節外れの冬服を着た若い女性が乗った。行き先を聞くと更地になったところである。今そこは何もないけど、と言って振り返るとその女性はもういなかった。工藤さんは運転手たちに恐怖心がないのは、愛着ある地元の人が帰ってきたことに畏敬の念があるからと分析。その上で、この現象の背景にある人々の絶望感や地域の一体感、魂であっても親しい人が戻ってくる喜びを「受容し、次に活かす」ことが今後、生きる上で役立つと訴える。

 ▼あす5年目の3・11を迎える。死者・行方不明者は合わせて1万8456人(2月現在、警察庁)。皆、尊い人生があった。多くの人がつらい別れを経験した。『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』(文藝春秋)で中2のO君がサッカーの楽しさ、支援者への感謝をつづった作文を読んだ。津波で両親を失ったがそれには一言も触れていない。死者も幽霊も語るすべを持たないのは無念だろう。ただ、生きていてさえ語れぬ人がいることに、癒えぬ心の傷の深さを思い知らされた。


ありがとう

2016年03月09日 10時31分

 ▼いきものがかり、という3人組ポップスグループの曲に「ありがとう」がある。新聞故ここでお聞かせするわけにいかないが、歌い出しはこうだ。「ありがとうって伝えたくて あなたを見つめるけど」。歌い手の女性の伸びやかな声が耳に心地良い。言うべき場面ですっと口から出ないのが、ありがとうの言葉だろう。苦労を掛けた妻に、ありがとうと言った覚えがない、なんてご仁もいるのではないか。

 ▼きょうは「ありがとうの日」である。3月9日、39(サンキュー)の語呂合わせだ。ご存じとは思うが、「ありがとう」は「有り難し」が転じて、めったにない親切や好意に感謝を表す言葉になったもの。心からの気持ちを、口に出して相手に伝えることができれば、人間関係は随分円滑になる。誰しも経験することだろう。そう考えると現政権は、沖縄への感謝に少し欠ける部分があったかもしれない。基地問題で既定路線にこだわるあまり、県民感情を逆なでする結果を招いた。

 ▼民主党にも責任がある。鳩山由紀夫首相(当時)は県外に移すとぶち上げ、すぐ撤回するドタバタ劇を演じ混乱を深めた。感謝でなく歓心が狙いだったと批判されても仕方ない。国は今回、米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる訴訟で福岡高裁那覇支部の和解案を受け入れた。再び交渉に入る。「ありがとう」の歌は続く。「あなたの夢がいつからか ふたりの夢に変わっていた」。甘ったるい意見と分かっているが、国と沖縄が感謝し合うことで解決の糸口が見えてきはしないか。


夕張再生計画

2016年03月08日 08時49分

 ▼吉野源三郎の名前にピンと来なくても、代表作に『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)があると聞けば、それは読んだ覚えがある、という人も少なくないのでないか。叔父さんがコペル君にいろいろなことを諭す。中にこんな一節があった。「一筋に希望をつないでいたことが無残に打ち砕かれれば、僕たちの心は目に見えない血を流して傷つく」。生きる上で希望がいかに大切かを教えているのだろう。

 ▼財政再生団体になっている夕張市の成果や課題を検証していた第三者委員会「夕張市の再生方策に関する検討委員会」が4日、鈴木直道市長に報告書を提出した。その内容を見ると、風向きがだいぶん、南寄りの暖かなものに変わってきたようだ。地方創生実現のため、財政再建と地域再生の調和に向けて新たな段階に移行することを求める、というのである。つまり、市民に辛抱を強いるばかりの時期はもう終わりにし、誇りや希望が持てるように計画を見直していこうというのだ。

 ▼再生計画は夕張市民にとって過酷なものだった。債務返済優先のため税金など負担が増える一方、行政サービスは削られる。市民の希望は次々と打ち砕かれた。それ故だろう、人口は計画が始まってから現在までに約30%も減ったという。計画は見直されても、苦しみはまだ残る。吉野は叔父さんにこうも語らせていた。「正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだ」。10年間、夕張は挑戦し続けた。その姿に希望をもらった人がどれだけ多くいたことか。


啓蟄と就活

2016年03月05日 09時10分

 ▼寒さ厳しい冬は人間にとって過酷だが、昆虫にとっては平和な季節であるらしい。『虫のはなし』(技報堂出版)によると、活動期の夏はいつ天敵に食べられてしまうか分からない「受難の季節でもある」とのこと。土中でのんびり眠りながら冬を越している間に、寒さも飢えも通り過ぎてしまうのだとか。きょうは旧暦二十四節気の啓蟄だ。昆虫たちもそろそろ身支度を整えていよう。活動の季節である。

 ▼啓蟄で出てくる虫はもともと、昆虫だけでなく冬眠の習性を持つヘビより小さな生物を指していたそう。「啓蟄やただ一疋の青蛙」(原石鼎)の句もある。幸田露伴は「蛇穴を出れば飛行機日和なり」と詠んだ。自身をヘビとし、暗い穴から出ると爽やかな青空が広がっていたのだろう。解き放たれる喜びが感じられて味わい深い。とはいえ本道は3月に入ってから大荒れの天気に見舞われ、真冬に逆戻りした感がある。啓蟄の「け」の字もないのが実際で、春はまだお預けのようだ。

 ▼啓蟄とほぼ時を同じくして本番を迎えたのが2017年春卒業予定者の就職活動である。1日に会社説明会や広報活動が解禁になった。ことしは面接や試験といった選考が昨年より2カ月早い6月からに前倒しされるため、短期決戦型になるようだ。毎年のように変わる採用日程に学生も戸惑っているだろう。何はともあれ走り回る日々ではないか。ただ、就活だけで燃え尽きたりはしないでほしい。就職が決まって穴を出たら、そこに見たことのない爽やかな青空が待っているはず。


電力自由化

2016年03月04日 09時39分

 ▼作家水上勉は豪雪地帯で送電線を守る人々を見て心を動かされたそうだ。随想にそのときの思いを、こう記している。「文明の火壺から出る電力も、かくれたところで、人々が蟻のように働いてこそ消費者の手にとどくことを忘れないでほしい」(『続・閑話一滴』PHP研究所)。4月からそうして届く電力の小売り全面自由化が始まる。道内でも新規参入業者が家庭向けの顧客獲得に動きだしたようだ。

 ▼料金は下がり、サービスも多彩というのだから利用者としてはうれしい。ただ、少々ふに落ちない点もある。東京など道外で調達した電力を本道で売ることもできるというのだ。遠距離送電は損失が大きいから顧客と直接つなげるわけではない。料金だけのやり取りになるのだが、地域の電力設備をそれで持続させていけるのだろうか。現在の料金は、地域の電力会社が「蟻のように働いて」電力設備を維持してきた費用に加え、需給動向を見通すことで決めているもののはずである。

 ▼心配なのは、激しい競争で料金が道外に流出し、経済も収縮して地域の安定した電力環境が維持できなくなること。取り越し苦労ならいいのだが。家庭向けでないものの、2月には新電力大手が事業撤退との報もあった。同じ事が今後ないとも限らない。道内の新電力であれば地域安定供給の責任を将来にわたって共有できるだろう。さてビジネスライクな販売店に、そこまで高い意識を期待できるのか。自由化のつもりが、気が付いたら不自由になっていたのでは目も当てられない。


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