弥生時代中後期の日本にあったとされる一つの国「邪馬台国」はどこだったのか。歴史愛好家ならずとも興味をひかれる話題だろう
▼中国の歴史書「魏志倭人伝」に「女王が都するところ」と記載され、その存在が知られることになった。都は7万戸以上の規模だというから、当時としては相当大きな勢力だったはず。ところが場所が特定できない。九州説と近畿説があり、決定的な証拠のないまま現在に至っている。分からないことは知りたくなるのが人の常。学者以外でも探求に乗り出す人が多くいた。九州説をとる作家松本清張もその一人。1972年の著書『邪馬台国の謎を探る』(平凡社)に「九州の北部のどこかに存在していたというだけでよいと考えている」と記し、答え合わせを後の研究に託していた
▼今回、答えにつながる新発見があるかもしれない。魏志倭人伝の邪馬台国と合致する部分が少なくない佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」で5日、4月に見つかった石棺墓の内部調査が始まったのである。墓は約1800年前のもの。昨年まで神社があり、発掘調査ができなかった区域から出土したそうだ。4枚の石ぶたで閉じられていたが、開くと高い地位を示す赤色顔料の跡があり、見晴らしのよい所にあった事実も勘案すると有力者の墓の可能性が高いらしい
▼吉野ヶ里邪馬台国説が有望視されながら足踏みしていたのは、まさにその有力者の墓がなかったため。それがあったとなるとパズルのピースがぴたりとはまる。全容は1週間ほどで判明するという。論争に終止符が打たれるのかどうか。