1972年冬季五輪の札幌招致によって、高速軌道南北線(北24条―真駒内間12km)の先行整備が決まった。五輪のメイン施設である屋内、屋外のスケート競技場や選手村が配置された真駒内と都心を結ぶ交通機関が不可欠となったためだ。初弾工事は1969年1月に入札され、2月7日に起工式が行われている。
札幌の発展に貢献した都市施設の筆頭に挙げられるのが、地下鉄(高速軌道)だ。50年以上も前に、都心部の渋滞を解消する都市交通として計画が描かれ、1972年の冬季五輪開催という追い風を受け、建設が進められた。今回は、先行して整備された南北線の計画が固まるまでの経緯に迫ってみる。
第11回に引き続き、五輪の関連施設を紹介する。オリンピック村から1kmほどの距離にある真駒内柏丘にはプレスセンターが開設され、競技の様子を国内外に伝える拠点となった。大会運営や情報発信を支えたデータ通信センター、放送センターは都心部に整備されている。
第8~10回では競技場にスポットを当てたが、五輪施設のもう一つの柱となるのが、選手や役員の宿泊施設などを配置するオリンピック村(選手村)だ。真駒内地区を対象に整備され、競技場と入れ替わるように1970年度から工事が開始。同地区発展の礎となった。
札幌市が事業主体となった競技場は、宮の森ジャンプ、美香保屋内スケート、月寒屋内スケート、手稲山回転、手稲山大回転、藤野リュージュの6施設。選手の育成を目的に先行整備した藤野リュージュ競技場を除くと、1968年度以降に入札され、工事が本格化したのは69年度となる。一方、札幌オリンピック冬季大会組織委員会(以下、組織委)は、恵庭岳滑降、手稲山ボブスレー、手稲山リュージュ、真駒内距離の4施設と全競技場の仮設施設を担った。