札幌冬季五輪で整備された14の競技場のうち、大倉山ジャンプ、真駒内スピードスケート、真駒内屋内スケートの3つ施設は「3大競技場」といわれ、北海道開発局営繕部が発注業務などを担った。五輪開催は1972年2月だが、71年2月の札幌国際冬季スポーツ大会(プレオリンピック)でも使われることから準備は急ピッチで行われた。完成までの経緯を見てみる。
1966年4月27日、ローマ(現地時間26日)で開かれた国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、第11回冬季五輪の札幌招致が決定した。これを契機に72年2月の大会開催に向けた競技施設の建設準備が始まった。今回は五輪招致の経緯、競技施設の建設地や内容の検討過程などを追ってみる。
1960~70年代は高度経済成長のまっただ中。時代を象徴するイベントとして、64年に東京五輪、70年に大阪万博が開かれ、五輪直前の64年10月1日に東京―新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業した。札幌市に目を向けると、71年12月の地下鉄南北線北24条―真駒内間開通や72年2月の冬季五輪開催、同年4月の政令指定都市移行などが挙げられる。60~70年代とはどんな時代だったのか。データを交えながら迫ってみる。
今回は札幌駅前通西4丁目街区の北2条から大通までを見ていく。北3条、北4条の街区同様、1950年代から本格的なビル化が始まり、建て替えられたビルも多い。2014年にはオフィスだけでなく多数の商業施設を入った札幌三井JPビル(北2条西4丁目)が開業し、駅前通に新たなにぎわいを創出。創業80年を超える札幌グランドホテルは時代とともに変遷を重ねている。
同じ札幌駅前通の北街区でも西3丁目と西4丁目ではビル立地の経緯が異なる。小区画の民地が並んだ3丁目は小売店舗を中心に街区を形成し、その区画を共同化しながらビル化が進められた。一方、西4丁目の多くは開拓使時代からの大区画が残り、行政機関の庁舎や官舎の跡地をそのまま活用した大規模ビルの建設が相次いだ。