【アートランダム 柴橋伴夫】/第47回 水木しげるの妖怪
現在、札幌芸術の森美術館で、「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」が、8月25日(日)まで開催されている。副題に「~お化けたちはこうして生まれた~」とあるように、妖怪画が作られる具体的手法に注目した展覧会となっている。
代表作『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめ多くの妖怪作品を生み出し、私たち日本人に妖怪文化を根付かせた漫画家水木しげる(本名:武良 茂 1922―2015年)の展覧会は、生誕100周年を機に企画されている。では見どころはどこにあるのか。過去の展覧会との差別化を図り、初めて妖怪画が作られる具体的手法に注目したという。水木が、描く上で参考にしていた貴重な妖怪関係資料が初公開されている。資料とは、鳥山石燕『画図百鬼夜行』や柳田國男『妖怪談義』などである。〈百鬼夜行〉の名にふさわしく、《あかなめ》《一反木綿》《アマビエ》など水木ワールドの妖怪画100点以上を展示している。
ここで横道に入らせてもらうことにする。かなり前のことになるが、鳥取の大山を旅したことがある。はじめは予定していなかったが、大山寺の支院「圓流院(えんりゅういん 鳥取県西伯郡大山町大山58)」を訪ねることにした。それは、この寺院の天井画を水木が描いていることを知ったからだ。この寺院は、江戸時代後期に輩出した画僧嗒然(とうぜん)が住職を務めた僧坊であった。はじめは水木が描いた天井画、どんな画像になっているか皆目予想がつかなかった。妖怪が変幻自在に跋扈(ばっこ)しているのではないかと勝手にイメージを膨らませていた。でもかなり違っていた。おどろおどろしさは、ほとんど感じなかった。その数108枚。一枚一枚が丁寧に描かれていた。この108、煩悩の数ではないのか。その中にはこの寺のために制作された「大山からす天狗」もあった。そこに水木の故郷への愛を感じた。さらに「阿弥陀浄土」「補陀落浄土」の図像があった。とすれば間違ってはいけない、これは単なる妖怪図ではないと。浄土世界を描いた水木による曼荼羅(マンダラ)図であるとつまり妖怪も含めて全ての事象は、浄土世界へと誘われていることを表現したかったに違いないと。
実は、この天井画を鑑賞するためには、床に身を置いて寝ながら見なければならなかった。見上げながら、ふとこんなことを想った。水木は第二次世界大戦下のニューギニア戦線・ラバウルに出征し、過酷な戦争体験を重ね、左腕を無くしている。とすれば戦友達への弔いもあったのでないだろうか。
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