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【弁護士田代耕平の独り言】第105回 疑わしきは被告人の利益に

最近、刑事事件で無罪判決が続いているようです。袴田事件(半世紀以上前の一家4人の殺人事件で死刑判決を受けて長期間収監されていた袴田さんが、ことし10月9日に再審無罪判決が確定した冤罪事件)の影響があるのではないかという憶測もあるようですが、最高裁での『法解釈』の変更等があったわけではないので他の事件の『事実認定』に結果に影響はないと思います。

『事実認定』とは、裁判官が、裁判において、証拠に基づいて事実を認定することを言います。平たく言うと過去の事実を推理(?)によって確定していく作業です。誰にでもできる簡単な作業のように思われますが、法律上のルールに基づいて採用された証拠によって認定する必要があります。

特に、刑事事件では厳しい要件を満たした証拠だけで認定することが求められています。例えば、「また聞き」は証拠にできないし(伝聞法則)や自白だけでは有罪にはならない(自白法則)などのルールがあります。従って、証拠ではない報道等の情報や処罰を求める多数の署名などは事実認定に影響しません。

最近、いわゆる『紀州のドンファン事件』(資産家が急性覚醒剤中毒で死亡し妻が殺人罪で起訴された事件)についてどう思うかという質問を受けますが、証拠を見ておらず報道情報しか知らない私には何も言えないのです。

また、刑事事件では、「通常人であれば誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得られる」程度に犯罪事実の証明がなされることが必要となります(最判昭和23年8月5日)。民事事件で「高度の蓋然性」で足りると考えられているよりも厳しい基準といわれています。

そして、最近、「疑わしきは被告人の利益に」というワードが報道でも聞かれますが、これは有罪の判決がない限り『無罪の推定』が働くということです。どんなに疑わしかったとしても犯罪事実の証明がなされない限り無罪なのです。従って、真実は犯罪を犯した人がいても証拠がない場合は無罪となってしまいます。当たり前のことに思うかもしれませんが、例えば3人で行った詐欺事件の容疑者として4人が浮上し、その容疑者のうち3人は間違いなく犯人であったとしても1人でも犯人ではない人がいてこれを特定できない場合には間違いなく犯人である3人を含めた全員が無罪放免になるということです。

これが、容疑者が1万人であっても1人でも無罪の人がいるのであれば全員無罪です。「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」と言われています。この結論は、私たち人類が過去に犯した過ちを歴史的な教訓として選択した結果なのです。

裁判では『状況証拠』しかないときに事実認定はシビアになります。状況証拠とは多義的ですが、犯罪を直接証明する直接証拠(自白や目撃証人など)ではなく犯罪事実を推認させる事実(間接事実)を証明するのに用いられる証拠をいいます。

例えば、半年前に盗まれた宝石を持っていた窃盗の前科10犯の人物は半年前の窃盗事件の犯人と言えるでしょうか?状況証拠として盗品を所持していた事実があるのですが(盗品を所持していることは直接証拠ではありません!)、われわれはこれだけではこの人物を有罪にはできないと考えるのです。怪しいし本当は犯人なのかもしれませんが、盗品を誰かから購入したり貰ったり、もしくは拾った可能性などもあるからです。

皆さま方の感覚とは少し違うのではないかと思いますが、「疑わしきは被告人の利益に」とは最終的にそういう選択をするということなのです。『それでもボクはやっていない』と言われると皆さまの納得感が少し上がりますでしょうか。

田代耕平(たしろ・こうへい) 札幌総合法律事務所のパートナー弁護士を務め、労働問題や不動産取引、建設関連の分野に力を入れている。コラム「弁護士田代耕平の独り言」では、幅広い業種の仕事や生活に役立つ内容について解説する。


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