追悼2024年 故人をしのぶ
北海道の建設業界に貢献し2024年に惜しまれながら逝去した故人をしのぶ。
田中組社長 松村 敏文氏(73)
社員に寄り添い改革進める
業界きっての紳士だった。道内地場ゼネコンの代表格である田中組(札幌)の社長。闘病中の2月28日に73歳で逝去した。広い交友関係で各方面に広い人脈を持ち、経営基盤強化に貢献した。11月の新社屋着工を心待ちにしていた。
1951年1月、夕張市生まれ。73年に日本大学工学部建築学科を卒業し、田中組に入社した。建築技術者として現場を経験して営業部長や専務、副社長を経て2017年に社長に就任。現場の苦労を知る人で、現場担当者の処遇改善など社員に寄り添った社内改革を進めた。
社内では社員の意思疎通を重視し、厳しく教育。田中組の「紳士的な側面を体現していた」と惜しむ社員も多い。社外では特に医療福祉系の顧客から信頼が厚く、民間建築の受注拡大に貢献した。
共和コンリート工業会長 本間 丈士氏(67)
元全国土木コンクリートブロック協会会長 業界をけん引
全国土木コンクリートブロック協会会長を20年にわたって務めるなど、業界全体の発展に長く貢献。6月26日に67歳で他界した。
1957年4月、札幌市出身。82年に慶応大学大学院工学研究科を修了し、経営コンサルティング会社勤務を経て、84年に祖父の勘次氏が創業した共和コンクリート工業(札幌)に入社した。専務、副社長を歴任して94年に代表取締役社長に就任後、2024年6月1日に代表取締役会長に就いた。
九州までの道内外47事業所、グループ53社体制を構築。2011年に発生した東日本大震災の後には岩手、宮城、福島県内の海岸部復旧にも尽力した。
2022年4月に黄綬褒章、24年6月に旭日小綬章・正六位を受章。9月に札幌と東京で開かれたお別れの会では、それぞれ数百人の参列者が花を手向けた。
元北海道開発局長 北條 紘次氏(82)
元地崎工業会長、道内建設業の転換期に奔走
河川畑を歩み、北海道開発局長の在任中には豊浜トンネル崩落事故への対応を指揮した。退官後は経営危機に直面していた地崎工業(札幌)の社長に就任。3年後の2007年4月に実現した岩田建設(札幌)との合併に尽力し、116年続いた地崎工業の歴史に幕を下ろした。
1941年9月生まれ、札幌市出身。北海道大学工学部卒業後、北海道開発庁(当時)に入庁。北海道開発局長を務め、97年に退官した。2004年に地崎工業代表取締役社長に就き、15年には瑞宝中綬章を受章した。2月28日に82歳で永眠した。
3度目の社長就任要請に応じ、経営再建中だった地崎工業のかじを握ったが、財務状況は末期状態で切れる手札は少なかった。それでも強気の姿勢は崩さず、道外受注に活路を見いだし、最後までトップセールスに奔走した。
會澤高圧コンクリート取締役会長 會澤 實氏(85)
コンクリート技術の向上に寄与
コンクリートを1次水、2次水で分割して練り混ぜするSEC工法を生み出し、業界の技術力を底上げした。11月10日に85歳で他界した。
1939年10月生まれ、新ひだか町静内出身。高校卒業後、59年に父・芳之介氏が経営する土木資材販売会社の静内産業に入社した。63年の會澤高圧コンクリート(苫小牧)設立後、父の右腕として製造・販売に汗を流した。
生コンの品質向上を目指して業界をリードしてきた。日本コンクリート工学会が1971年に創設したコンクリート主任技士制度では、全国第1号で資格を取得。骨材とセメント、水を2段階に分割して練り混ぜるSEC工法は均質な生コンを作れるため、ゼネコン各社が注目した。
2018年秋の叙勲で旭日双光章を受章。生コン業界にささげたその情熱はいつまでも残る。
北海道砂利工業組合理事長 小澤 由明氏(80)
和の精神を大切に業界へ貢献
絆や周囲への恩を大切にする和の精神で骨材業界をけん引。2013年から北海道砂利工業組合理事長を務め、19年に日本砂利協会副理事長を併任した。10月15日に惜しまれながら80歳で逝去した。
1943年11月生まれ、弟子屈町出身。開成建設工業(弟子屈)を創業し、砂利採取販売だけでなく、土木工事や特産品「摩周メロン」の存続・普及にも貢献するなど地元を代表する企業に育て上げた。
業界の課題解決を目指して中央への要請活動も展開。北海道開催となった2023年の日本砂利協会全国大会で大会実行委員長を務め、全国の仲間と絆を深めた。
2023年秋の叙勲で中小企業産業功労者として旭日双光章を受章。祝賀会のあいさつで「温かい仲間や先輩に恵まれたおかげ。ご恩を地域にお返しする」と、周囲への感謝を忘れなかった。
北洋建設社長 小澤 輝真氏(49)
元受刑者の社会復帰支援
「人は仕事があれば再犯しない」という信念の下、元受刑者の雇用に尽力。9月22日、49歳で永眠した。
2012年に難病の脊髄小脳変性症を発症し、余命10年の宣告を受けた。徐々に不自由になる体で、全国の刑務所に出向くなど受刑者の雇用、就労支援に力を入れてきた。活動が広く認められ、第35回東京弁護士会人権賞や作田明賞など数多くの賞を受けた。
元受刑者の受け入れは、北洋建設(札幌)創業者の父が始めた活動。これまでに600人以上を採用してきた。2019年には著書「余命3年 社長の夢」を出版。「残された時間を無駄にできない」と記し、元受刑者たちに更生のきっかけを与え、新たな居場所を作ることに命を燃やした。
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