明治の開拓最初期に東本願寺の僧らが中心になり開削した、伊達―札幌間をつなぐ「東本願寺街道」の一部と推定される旧道跡を、札幌市の研究家・打田元輝さん(75)が発見した。年代測定や追加調査で「失われたルートの特定を目指したい」と話している。
同街道は開拓最初期の1871(明治4)年10月、現在の伊達市有珠から開拓本府を置く札幌市の平岸天神山南麓をつなぐ内陸道として開通。別名・有珠新道という。国道36号側に道路が開通するのは、この2年後で「最も古い幹線道路の一つ」だ。
明治維新で地位が揺らいでいた東本願寺が建設に名乗りを上げ、工事の中核を担った。大谷光瑩率いる僧は、当時、北上途中に寄付を集め費用を賄い、士族、アイヌ民族を加え1年ほどの突貫工事で完成。打田さんは「今考えれば本道最初の民活事業」と説明する。
ルートは松浦武四郎の助言を得て、有珠から洞爺湖東岸、尻別岳西側を経て、難所の喜茂別から定山渓方面に至る山岳部を開削したとされる。
測量の知識を持ち、道の技士を退官後、後志管内で建設業や測量団体の事務局を担った打田さんは、これまで特定されずにいた街道の研究に着手。ことし4月に札幌市南区の無意根山登山口周辺を探索した結果、周辺にルートの一部と推定できる開削跡が約2㌔にわたり続いていることを発見した。
打田さんは「これまで河川沿いと推定されていたが、発見が街道跡であれば、ルートはより北側の山岳部の尾根沿いを通っていたことになる」と主張。
今後は周辺で見つかった切り株の年代測定、喜茂別側ルートの調査を進める考え。「将来的には北海道遺産の登録を目指したい」として、調査、研究に共同で取り組む仲間も募っている。
発見内容や街道の歴史は18、19日に北海道命名150年を記念し、北大工学部で開かれる「北海道応援団フォーラム2018」のパネル展示で紹介する。