2018年秋の叙勲で旭日双光章を受章した会沢高圧コンクリート(本社・苫小牧)の会沢実会長。79歳。北海道生コンクリート工業組合の前理事長で、長く業界の技術向上に努めてきた。その代名詞がコンクリートを1次水、2次水で分割練り混ぜする「SEC工法」だ。大学研究者やゼネコン技術者らと共に実用化に向けて情熱を傾け、良質なコンクリート構造物の整備に貢献してきた。これまでの歩みを振り返る。
1939年10月1日に静内町で生まれる。高校卒業後、59年に父・芳之介氏が経営する土木資材販売会社の静内産業に入社。同社は63年にコンクリート製品部門を独立し、会沢高圧コンクリートを設立。実氏は専務取締役に就き、父の片腕として製造・販売に汗を流した。
67年に生コンクリートの製造・販売を始める。平取町の振内工場を皮切りに苫小牧、千歳、札幌と拠点を増やし、79年には鵡川工場でコンクリートパイルの製造・販売を開始。88年に代表取締役社長に就いた。
地域の商工会運営にも尽力した。2000年に静内町商工会の第7代会長に就任。持ち前のリーダーシップを発揮し、行政や各種団体との連携を図りながら基盤強化に努めた。
静内町は06年に三石町と合併し、新ひだか町となる。実氏は初代の新ひだか町商工会の会長に就き、2町の商工会の一体化に向けて奔走。中心街の空洞化に歯止めを掛けようと、商業施設と公共施設を融合させて都市機能を強化したり、景気回復の起爆剤として地域商品券を発行するなど、地場の中小企業の振興を下支えした。
生コンの品質向上に向け、業界をリードしてきたことでも知られる。日本コンクリート工学会が71年に創設したコンクリート主任技士制度は、全国第1号で資格を取得。道生コン工組では長く技術委員長を務め、自社だけでなく道内の生コン業界全体の技術水準の向上に努めた。
「俺の自慢はSEC工法」と実氏。最適に湿潤化させた砂をセメントで造殻させて生コンを練る独特の製造方法だ。「ブリーディング(コンクリート表面に水が浮き上がる現象)しないコンクリートだ」と、ゼネコン各社がこぞって使うようになった。
東大の樋口芳朗教授と都内で酒を飲んでいたとき、「君の地元の海岸にはトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)が残っているが、50―60年たって朽ちたものもあれば立派なものもある。その差は何だ」と問われた。答えは砂の湿り具合で「それがSEC工法の原点だった」と振り返る。
SEC工法は、樋口教授らコンクリートの研究者たちが原理的な研究を進め、リブコンエンジニアリング(本社・東京)を中心に実用化。実氏は一升瓶を片手に北海道から足を運び、SEC工法の開発に没頭。集まった研究者たちから「北海道の熊が来た」と歓迎されたという。
06年に道生コン工組の理事長に就任。10年まで上部団体の全国生コンクリート工業組合連合会で副会長も務めた。
08年に代表取締役会長に就き、息子の祥弘氏にトップの座を譲る。近年、同社はロシア、モンゴル、ミャンマーと世界を舞台に活躍し、その技術力と先進的な取り組みで高く注目されている。
実氏はモンゴル進出の基礎構想を考え、積極的に推進してきたことから、12年に同政府から北極星勲章を受けた。外国人に与えられる最高位の栄誉で、寒中高強度コンクリートを中心とした製品技術の向上に貢献したことがたたえられた。
「会社はどんどん大きくなっている。これからも地域のため、世界のために頑張ってほしい」と期待を寄せている。