道内の文化・芸術に功績があった者をたたえる第8回北の聲アート賞で、帯広市内にある国指定の重要文化財・旧双葉幼稚園[MAP↗]の園舎保存に取り組む川村善規氏(オフィスK&K)が、奨励賞(アウラ賞)に輝いた。園舎改修に長く携わったことを契機に強まった保全への使命感。川村氏は「重要文化財は国、つまりみんなのもの。今の時代の私たちができることをちゃんとやることが大切」と話す。歴史を映す史料でもある貴重な古建築に思いをはせる。
川村氏は1950年、帯広市生まれ。日大建築学科を卒業後、岩田建設(当時)に入社。81年に萩原建設工業(本社・帯広)へ移り、双葉幼稚園の改修チームに加わることになった。
双葉幼稚園は前身の萩原組による施工で22(大正11)年、帯広市東4条南10丁目に完成。赤いドーム型屋根が目を引く園舎は十勝管内で先駆的な幼児教育の拠点として、2013年の閉園まで園児を見守った。東京で過ごした学生時代、母校近くで見慣れたニコライ堂。「同じような建物が帯広にあるな」と双葉幼稚園の存在はずっと頭の片隅にあった。
「仕事という感覚ではなかった」。と初めて現場に入ったときから覚えた園舎への特別感。30年前から撮り続けた屋根裏などの写真は「将来役に立つ。これは残すべき建物」と大切に保管し、園舎の見学者がいれば案内した。
100回目の卒園式で歴史に幕を下ろした双葉幼稚園だが、園舎の意匠や歴史的価値から重要文化財を目指す機運が高まった。「俺がやるしかない」。重文指定は自らに託された役割と直感。関係者と奔走して120㌻に上る資料を16年に作成し、翌17年に重文指定を実現した。
35歳で重篤な心臓疾患を発症。大手術で一命を取り留めたが、後に医師から「ここで疾患を起こしていなければ、50歳で死んでいたかもしれない」。人生観が突き動かされたと振り返る。
自らのキャリアを社会にささげる決意をし、55歳で独立。「気張っているわけではないが、ないはずだった人生を歩んでいるのかな」。再び授かった人生に園舎を守る使命も感じた。
園舎保全の次なる目標は後継者の確保。「みんなが大切に思わないと建物は残らない。改修の知識は自分が詳しいが、今後は卒園生に譲っていかないと」。19年にNPO法人「双葉の露」を設立。園舎に対する市民の関心が徐々に芽吹いてきた。
「全国で500カ所しか幼稚園がなかった当時、帯広に(これだけ立派な)幼稚園があった。建築を通じ、幼児教育を掘り返さないといけない」と指摘。建材を調べれば当時の流通事情も見える。「十勝の経済が分かる基礎資料。建築文化をたどるとはこういうことだ」と言い切る。
(北海道建設新聞2020年1月15日付3面より)