日本語に多彩な表現力があることも一因だろう。日本人はある言葉が本来持っていない意味まで音で感じとり、気にするところがある
▼「するめ」を「あたりめ」に、「おしまい」を「お開き」に言い換える類いのことである。あらためて言うまでもないが、「する」の音からはすり減りなくなることを連想してそれを嫌い、祝いの席ではめでたさが「おしまい」になるのを避けたい気持ちが働く。実に神経が細かい。そんな日本でなぜこれが今まで放置されてきたのか分からない。「優性遺伝」と「劣性遺伝」である。日本遺伝学会が最近、遺伝に優劣があるとの誤解や偏見を生む恐れがあるとして、実態に合わせ名称を改めることにしたそうだ
▼もとより優秀ゆえの優性でなく、劣悪ゆえの劣性でもない。対立する形質の現れやすい方を優性、もう一方を劣性と名付けたにすぎないのである。科学用語のため素人には敷居が高かったのかもしれないが、言葉に敏感な日本人ならもっと早くに対処できてよかった。何せ明治期に「メンデルの法則」を普及させるため考案された訳語である。専門家が使う分には不都合もなかったのだろう。ところが言葉が一般化するにつれ「優劣」の文字が独り歩きを始め、差別を助長することもあったというから遅きに失した感は否めない
▼学会は「優性」を「顕性」、「劣性」を「潜性」に改めるとのこと。これで誤解も減るに違いない。今まで違和感を覚えていた人も多かったはず。日本人ならではの血の通った言語感覚で言葉を見直す大切さを示した良い例ではないか。