1957年の入職以来、技能研さんに努めてきた。現在は旭川建築職業訓練協会の相談役として、技能五輪の入賞者を多く生み出すなど人材育成に力を注いでいる。
秋田の宮大工を祖先に持つ。「好きで、この道に入ったわけではなかった」と高橋会長。明治の北海道開拓で2代目が白滝村(現・遠軽町)へ移り、3代目の父も地域の寺や神社を多く手掛けた。もともと体が弱かったため、大工は務まらないと考えていたが、兄が後を継ぐのを拒否したため、順番が回ってきた。
20歳で棟梁になり、2年後に一番弟子、4年後に二番弟子を抱える。東京オリンピック直前で日本全国が元気だった64年、旭川へ移転。69年に三番弟子になった奥原一博さんは、今もハウジング高橋の名工として活躍している。
「職人上がりで会社を起こしたので、社員には同じ苦労をさせたくなかった」。そう思い至った25年前、社員も経営者の一人―といった考えから帳場(経理役)は置かず、職人自らが会社を守っていく経営感覚を持ってもらうことにした。
生活が安定するようボーナスを支給したり、業績の良かった年には決算手当も出すことにした。高橋会長は、そうした自社の形を〝家族会社〟と呼び、今も大切にしている。
極寒の道北で、長らく快適な住まいを考えてきた。空気層を利用した4重窓や、内外で機能の違う断熱材を使うダブル断熱サンドイッチ工法など、他社に先駆けて編み出した自社技術は今も進化を続けている。「光熱費を気にすることなく、家計にも優しい温(ぬく)さを提供するのが、私の目指している家造り」
これからの担い手には「今は機械によるプレカット時代だけど、建築には手作業による技も必要。そうした技を受け継ぐ気構えで、職人として進んでいってほしい」と話している。
(2015年11月14日掲載)