いつごろからだろう。日本で夫婦と子ども一人の核家族が目立つようになったのは。「たったこれだけの家族であるよ子を二人のあひだにおきて山道のぼる」河野裕子。そんな情景が当たり前の昨今である
▼政府の「国民生活基礎調査」を見ると1980年代後半のバブル期以降に、世帯員数の減少が顕著になってきたようだ。当時、多くの人にはまだ危機感がなかったが少子高齢化は既に影を落としていたのである。ことしの出生数(推計)が94万1000人と2年続けて100万人を割る見通しになったとの報に触れ、あらためて少子高齢化の深刻さに思い至った次第。厚生労働省が先週末に発表した「人口動態統計」の年間推計で明らかになったことである
▼一方で、死亡数は戦後最も多い134万4000人に上るのだとか。その結果、死亡数から出生数を引いた自然減数は40万3000人に達するという。例えは良くないが、日本というバケツの底に大きな穴が開いている様子を想像すると分かりやすい。日本人絶滅、時限爆弾、人口動態上の死刑囚。これらは少子高齢化を表した言葉である。英「フィナンシャル・タイムズ」のデイヴィッド・ピリング元東京支局長が著書『日本・喪失と再起の物語』(早川書房)で紹介していた
▼安倍政権も教育の無償化や子育て支援などを打ち出してはいるものの、「焼け石に水」が現実だ。何せ先の統計では婚姻件数自体が落ち続けている実態も示されているのである。子ども以前に「二人のあひだ」さえできないのなら、あとはどんな手が残されているのか。