江戸を舞台とする時代劇ではおなじみの人物だろう。秀忠と家光、徳川家で将軍二人の兵法指南役を務めた剣豪に柳生宗矩がいる。但馬守の名の方がピンとくるだろうか。徳川幕府から大名を監察する大目付の役を最初に仰せ付かったことでも知られる
▼新陰流の伝承者で腕前は古今無双。孤高の強さだったという。その宗矩は晩年、極意をこう語っていたそうだ。「われ人に勝つ道を知らず。われに勝つ道を知る」。あえて剣の極意を持ち出すまでもないが、この人もライバル選手をひきょうな手段で蹴落とそうと考えた時点で自分にも勝負にも既に負けていたと気付いてほしかった。ライバル選手の飲料に、ドーピング禁止薬物を混入するなど妨害を繰り返していたカヌー・スプリント競技の鈴木康大選手のことである
▼東京五輪に出場する可能性を高めるため、できるだけ邪魔な選手を排除してしまいたい。そんな浅ましい自分勝手な感情で仲間の選手を陥れ、あらぬドーピングのぬれぎぬを着せたのである。報道によるとドーピング被害を受けた選手が最初に相談したのも鈴木選手だったという。信頼されていたに違いない。それも改心のきっかけになったのだろう。自ら加盟する団体に罪を告白したそうだ
▼「追ひつめてゐたりしものは何ならむ夢よりさめてまたしんの闇」小野興二郎。不正な手段でかなえようとした五輪出場は悪しき夢だった。今は目の前が真っ暗でないか。ひきょうな行為を働いた事実は消えない。ただ、最後には弱い「われ」に勝ったのだ。これからは正しい道を歩んでほしい。