子どものころ、母親の帰りが遅いとわけもなく不安にかられたものである。誰にでも覚えがあることだろう。詩人谷川俊太郎もそうだったようで、「なみだうた」という詩に書いている
▼「子どものころよく座敷におでこをくっつけて泣いた 外出している母がもう帰ってこないのではないかと思って 母はどんなにおそくなっても必ず帰ってきて ぼくはすぐに泣き止んだ」。帰ってきたときのうれしさといったら。母親に限らない。待ち人が子どもであっても友人であっても、きのうと変わらぬ顔をきょうも見ることができる幸せ。それがどれだけ貴重なことか。この出来事を思い出すたびに考えさせられる。長野県軽井沢町で大学生ら15人が亡くなったスキーツアーバスの路外転落事故から、きのうで2年となった
▼遺族や友人たちはかなわぬ夢と知りながら、犠牲になった子や友が帰ってくるのを諦め切れずにいよう。現在もまだ心身両面で後遺症に苦しむ負傷者もいると聞く。つくづく残酷な事故である。前後してこの時期、バスの事故が相次いだ。原因のほとんどは格安にこだわる運行会社の行き過ぎたコスト削減。運転手の能力や健康を顧みず無謀な運行を続けていたのだ
▼今は建設業界はじめ多くの産業が安全軽視は最大のコスト増要因との認識を共有している。そんな中でのこの事態はバス業界の意識の低さの現れと見られても仕方ない。教訓を学ぶのに死者が出るまで待つのは愚かなこと。旅客事業の関係者はこれを機にいま一度、親や子、友の帰りを待つ人がいることを胸に刻んでほしい。