▼タクシーの運転手たちが体験した幽霊―。またよくあるオカルト話と思われたかもしれないが、違う。東北学院大学の金菱清ゼミがまとめた論文集『呼び覚まされる霊性の震災学』で、学生の工藤優花さんが担当した1章である。東日本大震災の被災地で見られた幽霊との交流事例を丹念に調査したものだ。運転手たちは皆、当たり前のこととして受け入れていたそう。「あんなことがあったのだから」と。
▼こんな事例があったそうだ。夏のこと、季節外れの冬服を着た若い女性が乗った。行き先を聞くと更地になったところである。今そこは何もないけど、と言って振り返るとその女性はもういなかった。工藤さんは運転手たちに恐怖心がないのは、愛着ある地元の人が帰ってきたことに畏敬の念があるからと分析。その上で、この現象の背景にある人々の絶望感や地域の一体感、魂であっても親しい人が戻ってくる喜びを「受容し、次に活かす」ことが今後、生きる上で役立つと訴える。
▼あす5年目の3・11を迎える。死者・行方不明者は合わせて1万8456人(2月現在、警察庁)。皆、尊い人生があった。多くの人がつらい別れを経験した。『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』(文藝春秋)で中2のO君がサッカーの楽しさ、支援者への感謝をつづった作文を読んだ。津波で両親を失ったがそれには一言も触れていない。死者も幽霊も語るすべを持たないのは無念だろう。ただ、生きていてさえ語れぬ人がいることに、癒えぬ心の傷の深さを思い知らされた。