驚きのあまりしばらく声も出なかった。仙台市宮城野区に立つ中野五丁目津波避難タワーを見上げたときのことである。頂部にある波の表示板まで津波は上がったという。その高さ7m以上
▼あの日、ここは深い水の中だったのだ。海の底に取り残された自分の姿がふと頭に浮かび、恐怖感に襲われた。水面は身の丈のはるかに上である。タワーの周囲に広がるのは閑静な住宅街。ほとんどの家屋が津波の下に沈んだ。昨年10月、東日本大震災後初めて宮城を訪れた。地震を経験した仙台の友人に被災地の案内を頼むと、「まず見てもらいたいものがある」と連れて行かれたのがこのタワーだったのである。少しでも震災を分かったつもりでいたのは大きな勘違い。目を覚まされた
▼友人は店舗で顧客対応の仕事をしているが、震災後、お得意様何人もと連絡が取れなくなってしまったそうだ。心配になり探しに行ってみると風景は変わり果てていて…。被災地では誰もがそんな経験を胸にしまい込んでいるという。犠牲者数が最も多かった石巻にも足を伸ばし、日和山に上ってみた。当時、不安そうに津波を眺める人々の映像がよく出ていた所である。同じ海側を見下ろしたが目に入るものは多くない。広大な更地の上に復興公営住宅、工場、寺がぽつり
▼聞けばここにもにぎやかな街があったのだとか。車を走らせながら、友人がため息まじりにこう言った。「墓地がいっぱいなんだってさ」。横をみるとそこの墓地は新しい墓石で埋め尽くされていた。3・11から7年が過ぎた。まだ7年しかたっていない。