ドイツ文学を代表する作家ヘルマン・ヘッセの短編の一つに、『少年の日の思い出』がある。チョウ集めに没頭していた少年時代を振り返る物語なのだが、この一節に共感する人も多いのでないか
▼「チョウをとりに出かけると、学校の時間だろうが、お昼ご飯だろうが、もう塔の時計が鳴るのなんか、耳にはいらなかった」。チョウ集めに限らない。テレビでも本でもプラモデルでも、好きなことなら何でもだろう。四書五経の『大学』に記されているところの「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず」に近い。子どものころのほほ笑ましい思い出ならそれも良かろう。ただ心を奪われた人が、揚げ句誰かの命を奪ってしまう事態になると話は違ってくる
▼昨今のいわゆる「ながらスマホ」の問題である。19日、大津地裁はスマホが原因で死亡交通事故を起こしたトラック運転手に判決を言い渡した。禁錮2年の求刑に対して下されたのは2年8月の実刑。求刑を上回る判決は極めて異例という。被告の運転手は高速道路を走りながらスマホを見ていたため渋滞に気付かず、停止中の車に突っ込んだ。裁判官は「ながら」を単なる不注意でなく、明確な危険行為と断罪したのである
▼昨年12月には右手で飲み物を持ち、左手でスマホを操作しながら自転車を運転していた女子大生がお年寄りをはねて死亡させた。事故になるかどうかは別にして、今やこれらは特殊な例でない。同じような人はどこにでもいる。スマホは瞬時に「心ここにあらざる」状態をつくり出す。心を奪われてはいけない。