▼陸軍の軍医でもあった森鴎外は、1884(明治17)年から5年間、衛生学を学ぶためドイツに留学した。当時の経験に想を得た小説を幾つか残しているが『うたかたの記』(90年)もその一つ。主人公が街で出会った花売り娘に心を奪われる話だ。娘の顔を見た瞬間の心の揺れをこう表現している。「濃き藍いろの目には、そこひ知らぬ憂ありて、一たび顧みるときは、人の腸(はらわた)を断たむとす」
▼鴎外はドイツ女性の美しい目を読者に伝えるため、日本の伝統色である藍色を採用したのである。小説の出来事に近いことがあったとしても不思議はない。そのとき故国の青く澄んだ海を思い出し、吸い込まれるような気になったのかも。こちらの作品も藍色の目に見えないだろうか。25日にようやく決まった東京五輪・パラリンピックの新エンブレムである。既に発表されていた4候補から選ばれたのは、藍色だけを使って日本らしさを強調したデザインのA案「組市松紋」だった。
▼製作したのはデザイナーの野老朝雄氏。五輪とパラリンピック、二つのエンブレムは45個の同じピースで組み立てられているそう。「平等」の意味を込めたらしい。最初は地味に思えたが、眺めているうち、色鮮やかな他案にはない「わびさび」の美しさが見えてきた。白地に藍色はよく映える。日本手拭いにも合うだろう。外国客にも喜ばれるのではないか。五輪の準備は波乱続きだが「藍より青し」の例えもある。このシンボルの下に結集し、大会を期待以上の色に染め抜きたい。