▼当時はこんな会話が違和感もなく交わされていたそうだ。ある人が、道端で顔見知りを見つけて、あいさつ代わりに問う。「あなたの家族はどうでした」。10人家族のうち2人か3人が亡くなったとの答えが返ってくると、「それは、よかった。おめでたいことだ」。吉村昭の『三陸海岸大津波』(文春文庫)から引いた。一家全滅も珍しくなかったため、助かった家族の数が多いのは幸いとされたらしい。
▼津波による死者が岩手、宮城、青森の3県合わせて2万6000人を超えたというその明治三陸地震から、あすで120年である。明治の世になったとはいえ、農山漁村はまだ貧しく、社会基盤も整っていなかったころだ。まず情報が容易には伝わらず、いざ救援物資を運ぼうにも道路の便が悪い上、船が壊滅状態で海路も頼りない。直接被害はもとより、今でいう震災関連死が相当あったらしい。それでも国民の被災者支援の機運は高く、海外からも多くのお見舞いがあったそうだ。
▼生活が苦しい時代にも支え合いがあったことには、救われる思いがする。その支え合いを今一番感じているのは熊本地震の被災者でないか。発災からきょうで2カ月がたつ。本紙でも開発局TEC―FORCEはじめ自治体職員、民間も含む応急危険度判定士などの派遣を伝えてきたが、全国のそうした支援もありインフラはほぼ復旧したようだ。ただし、復興はこれからが本番。一日も早く「元通りになってよかった。おめでたいことだ」と会話が交わせるようになるといいのだが。