あだ討ちが認められていた時代には、何十年も敵を探して諸国を旅する人が多くいたらしい。菊池寛が短編「仇討三態」で、そんな人物の遍歴の一部をこう描写していた
▼「江戸へ引っ返すと碓氷峠を越えて信濃を経て、北陸路に出て、金沢百万石の城下にも足を止めてみた。が、その旅も空しい辛苦だった。近江から京へ上ったのが、元禄九年の冬の初めである。国を出てから、十四年の月日が空しく流れていた」。今の世にあだ討ちは認められていないが、事件を担当した広島県警の捜査員も家族や友人らも、それと似た気持ちで憎むべき犯人を追い続けた辛苦の14年だったろう。広島県廿日市市で2004年、当時高校2年の北口聡美さんが自宅で刺殺された事件のことである
▼県警は先週、鹿嶋学容疑者を逮捕した。容疑を認めているという。部屋から犯行で使用したナイフも見つかった。山口県宇部市で会社員として普通の生活をしていたらしい。その心中は計りかねるが卑劣であることに変わりはない。鹿嶋容疑者は当時、通りすがりに北口さんを偶然見掛け、後をつけて家に上がり込んだと供述しているそうだ。わざわざ宇部から廿日市まで行き、しかもナイフまで所持していたというから果たして犯行は思い付きだったのかどうか
▼今回の逮捕のきっかけは、別件で取り調べを受けた際に採られた指紋が当時現場に残されていた指紋と一致したこと。他県の小さな事件の指紋まで照合していたのだ。必ず犯人を見つけ北口さんの無念を晴らすという、捜査関係者の執念が実を結んだのではないか。