▼知り合いに重複障害を抱えた人がいる。筆者の小さいころ、たまに一緒に遊ぶ友達だったのだが、簡単な手術を受けたときに医療ミスが起き、脳に損傷を負ったそうだ。大人になって一度会ったのだが、彼の心は子どものまま、ベッドの上で動くことも話すこともできなかった。不幸な事故。しかし言いたいのはそのことでない。彼の両親が変わらず彼にありったけの愛情を注ぎ、慈しんでいたことである。
▼神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で起きた惨劇の報に触れ、そのことを思い出した。愛する家族を失った遺族の悲嘆はいかばかりか。事件の様相が明らかになるにつれ、容疑者の男の、障害者の生存を否定する強い偏見に基づいた犯行に憤りは募るばかりだ。知的障害者のために活動する「全国手をつなぐ育成連合会」も26日、「私たちの子どもは、どのような障害があっても、一人ひとりの命を大切に、懸命に生きています」と訴えていた。心から血が流れるような思いだろう。
▼美唄市内に工場を置く、粉の出ないチョークの日本理化学工業(神奈川)をご存じの人もいるに違いない。社員の70%が知的障害者である。最初は体験に来た2人だけだったが、社員がそのひたむきさに打たれ、皆で支えるから採用してほしいと社長に直訴したという。以来、障害者の側でなく、設備や作業手順の方を障害者に合わせてきた。障害者問題にヒントをくれる話だろう。多くの人が苦しみながらこの問題と真剣に取り組んでいる。卑劣な憂さ晴らしなど許すわけにいかぬ。